廣崎利洋
廣崎 利洋(ひろさき としひろ、1947年2月4日 - )は、日本の実業家、馬主。アスクグループホールディングス代表取締役社長、日本澳門グレーターベイエリア友好協会名誉会長、アルメニア経済文化機構副理事長、日本国際貿易促進協会理事。
来歴[編集]
関西に本拠を置く建築事務所「アスクプランニングセンター」の経営者で[1][2][3][4][5][6]、1980年代に都市部でビブレを企画し、日本にファッションビルの概念を創出した人物である[3][6][7]。この商業形態は日本のリテール業界に大規模なインパクトを与え、百貨店や量販店のビジネスモデル転換をもたらした[6][7]。そのほか、天王洲アイル(シーフォートスクエア)、広島のアルパーク、小倉のコレット、銀座シャネル、大江戸温泉物語など、大規模な都市再開発に携わっている[6][7][8]。
馬主業[編集]
西宮市で小売業を営む両親のもとで育った廣崎は、学生の頃から商品の配達で阪神競馬場の厩舎に出入りしており、シンザンやメイズイの時代から競馬に関心をもっていた[1]。廣崎は神戸の甲南大学へ進学し、在学中には馬術部の友人に馬に乗せてもらうこともあった[1]。廣崎はオリベッティに就職したが、馬券を買うようになってからも阪神競馬場に通っており、こうしたことから阪神競馬場の大レースである桜花賞を最大の目標にするようになった[1]。
廣崎は豊田善一(野村證券副社長)、細川益男らの紹介で馬主となった[1]。初めて所有した競走馬はアスクヒーローといい、華麗なる一族と呼ばれる牝系の祖マイリーの曾孫に当たる馬だった[1][9]。廣崎はこの馬を800万円で購入し、伊藤雄二調教師に預託した[1]。アスクヒーローは1989年の初夏、その年で最初に行なわれる札幌競馬場の2歳戦[注 1]に出走した[1]。他の出走馬の中では2億円で購買された米国産のシアトルスルー産駒であるドラゴンラリーが話題を集めていたが、アスクヒーローはこれを負かして1着となり、廣崎は馬主としての初所有馬で初出走で初勝利をあげた[1]。
2015年、所有するレッツゴードンキが桜花賞を優勝し、馬主開業から28年目で所有馬GI初優勝を果たした[10]。
主な所有馬[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
- ↑ 当時の呼称では「3歳新馬戦」である。アスクヒーローが出走したのは1989年1回札幌競馬1日目の新馬戦で、中央競馬のその世代が出走する一番早い機会である。
出典[編集]
- ↑ a b c d e f g h i 『競馬ブック』2015年6月14日号、p161-163「藤村和彦のオーナーインタビュー・桜花賞、ヴィクトリアマイル優勝の廣崎利洋氏」
- ↑ スポニチAnnex 2015年4月13日 ドンキ馬主・廣崎氏 予感めいた“28年目”の悲願2015年4月19日閲覧。
- ↑ a b 企業家倶楽部 2004年4月号特集第3部 特集第3部編集長インタビユー/アスクプランニングセンター社長 廣崎利洋2015年4月19日閲覧。
- ↑ 株式会社ASK PLANNING CENTER 経営陣2015年4月19日閲覧。
- ↑ 株式会社ASK PLANNING CENTER 創業者 廣崎利洋(フィロソフィー)2015年4月19日閲覧。
- ↑ a b c d 株式会社ASK PLANNING CENTER 廣崎利洋 経歴2015年4月19日閲覧。
- ↑ a b c ブイネットジャパン 「夢を形にする」ことで、地方再生を実現していく不思議な会社 アスクプランニングセンター2015年4月19日閲覧。
- ↑ 株式会社ASK PLANNING CENTER 有価証券報告書(2007年)(PDF)2015年4月19日閲覧。
- ↑ JBIS アスクヒーロー5代血統表2015年6月11日閲覧。
- ↑ サンケイスポーツ 2015年4月13日 【桜花賞】ドンキの廣崎オーナー、馬主28年目初GI 2019年1月25日閲覧。
参考文献[編集]
- 『週刊競馬ブック』株式会社競馬ブック
- 2015年6月14日号(第53巻24号)