平安 (キリスト教用語)

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平安 (キリスト教用語)とは、キリスト教界で良く使われる言葉でヘブル語の「シャローム」(שלום)に相当する日本語である。

概要[編集]

  • 讃美歌を唄ったときや聴いたときに平安を感じることがある。
  • 誰かが自分のために祈ってくれた時に平安を感じる場合がある。
  • 平安を感じるのは聖霊の作用であるとされる。
  • 祈りに平安が伴うのは、祈りに応えて、神から平安が与えられるからである。
  • 讃美歌に平安が伴うのは、神が人の上にあるという正常かつ正しい状態を表現することで、神から平安が与えられるからであろう。
  • 楽器による言葉の無い讃美歌の演奏を聴いた場合でも平安を感じるが、その理由は説明が付かない。
  • ノンクリスチャンがクリスチャンになると平安を感じるようになる。これは、その人の罪がイエスの血によってあがなわれ、その人に対する神の怒りが消えるためである。

偽りの平安[編集]

  • 偽りの平安は聖霊の作用に擬装されているが、聖霊の作用によるものではない。
  • 偽りの平安は、悪霊の作用によって生じる平安のような感覚である。
  • 聖霊による平安は長時間続くのだが、偽りの平安は短時間でスイッチを切ったように終わってしまう。
  • キリスト教で異言を言うようなグループや個人が、自分のために祈ってくれたときなどに生じる平安もどきである。
  • 異言を言うペンテコステ派寄りのグループの関係者と、インターネットでやり取りをした直後などに、不自然なくらい強烈な平安のようなものを感じる場合がある。その状態が2分か3分で終わってしまうときは悪霊による偽りの平安である可能性が高い。
  • 悪霊が平安もどきを作り出す理由は、誰かがカルト化したグループと関わったときに平安のようなものを感じさせ、カルトに深入りさせるためである。
  • 本物の平安と偽りの平安とは区別が付きにくいが、悪いことを考えたり、急に思わぬ出来事があったわけでもないのに、突然、平安のような感覚が消えるならば、それは偽りの平安の可能性が高い。また、偽りの平安は、わざとらしいくらい強烈であったり、ざわ付いたような感じがしたり、なんとなく純粋さに欠けるような感じがする場合がある。

ノンクリでも讃美歌に伴う平安を実感できる動画[編集]

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