巌本真理

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巌本真理(いわもとまり、1926年1月19日 - 1979年5月11日)はバイオリニスト。巌本真理弦楽四重奏団を結成。日本の室内楽の発展に貢献した。室内楽の定期演奏会94回。

経歴[編集]

  • 1926年1月19日、巌本荘民とアメリカ人マーグリトとの間に、東京府北豊島郡西巣鴨町(現在の東京都豊島区西巣鴨)で生まれる。出生名は巌本メリー・エステル[1]
  • 1931年、5歳からバイオリンを小野アンナに学ぶ。
  • 1935年、ハーフであることからいじめにあい、私立帝国小学校を4年生で中退[2]。その後は自宅でバイオリンの英才教育を受ける。室内楽を斎藤秀雄に学ぶ。
  • 1937年、第6回日本音楽コンクールバイオリン部門で第一位となる[3]。注目を集める。
  • 1939年11月、日本青年館にてレオ・シロタの伴奏でデビューリサイタルを開催[1]
  • 1942年、英語が敵性語とされたため「巌本真理」と改名する。
  • 1945年5月、満州公演を行う。満州国崩壊寸前に満州を離れ、敗戦3日後に帰国[1]
  • 1946年、20歳の若さ、小学校中退の異例の経歴で東京音楽学校教授となる。
  • 1950年、東京音楽学校を退任し、渡米。
  • 1951年、帰国し、演奏活動を再開する。室内楽に力を入れる。
  • 1952年、毎日音楽賞。
  • 1959年、第9回芸術選奨文部大臣賞、第14回芸術祭奨励賞。
  • 1964年、第12回民放祭最優秀賞。
  • 1965年、ブラームス室内楽曲の全曲連続演奏で毎日芸術賞
  • 1966年、「巌本真理弦楽四重奏団」結成。バイオリン友田啓明、ビオラ菅沼準二(のち生沼晴嗣)、チェロ黒沼俊夫、ピアノ坪田昭三[1]
  • 1967年、第一回定期演奏会。以後、年8回の定期演奏会を東京文化会館で開催。
  • 1970年、第8回レコードアカデミー賞
  • 1971年、芸術選奨文部大臣賞。
  • 1973年、NHK放送文化賞
  • 1974年、モービル音楽賞
  • 1979年、乳がんにより53歳で逝去[1]サントリー音楽賞(特別賞)。墓は豊島区駒込の染井霊園

人物[編集]

  • 小津安二郎監督の映画『晩春』に巌本真理のバイオリン演奏会が登場する。映像はなく音声のみである[4]
    • 巌本真理提琴演奏会 4月26日土曜日 午後3時開演。音楽芸術家協会主催 入場料350円450円 演奏会場は東京劇場(後に映画館・東劇)。
  • 染井霊園の墓が無縁仏にされる寸前という事態が一時、あった[5]。公告に遺族関係者が気づいて手続きし、事なきを得た[6]

録音[編集]

  • モーツァルト『弦楽四重奏曲』巌本真理弦楽四重奏団、2016年
    • 弦楽四重奏曲 第 15番 ニ短調, K. 421: 1. Allegro
    • 弦楽四重奏曲 第 15番 ニ短調, K. 421: 2. Andante
    • 弦楽四重奏曲 第 15番 ニ短調, K. 421: 3. Menuetto. Allegretto
    • 弦楽四重奏曲 第 15番 ニ短調, K. 421: 4. Allegro ma non troppo
    • 弦楽四重奏曲 第 19番 ハ長調, K. 465 不協和音: 1. Adagio - Allegro
    • 弦楽四重奏曲 第 19番 ハ長調, K. 465 不協和音: 2. Andante cantabile
    • 弦楽四重奏曲 第 19番 ハ長調, K. 465 不協和音: 3. Menuetto. Allegro
    • 弦楽四重奏曲 第 19番 ハ長調, K. 465 不協和音: 4. Allegro
  • 『日本の弦楽四重奏曲』巌本真理弦楽四重奏団
  • 『巌本真理の芸術』巌本真理、菅沼準二、中博昭、橋本正暢、藤田隆雄、キングレコード

参考文献[編集]

  1. a b c d e 日外アソシエーツ(2012)『日本の演奏家』日外アソシエーツ
  2. 山口玲子(1984)『巌本真理 生きる意味』新潮社
  3. 日本の弦楽四重奏談 ①巌本真理弦楽四重奏団
  4. 小津『晩春』に出てきた巌本真理
  5. 巌本真理先生のお墓
  6. 巖本真理墓(染井霊園)