山田實 (労働運動家)

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山田 實(やまだ みのる、1951年 - )は、日本の労働運動家。山田実とも。元釜ヶ崎日雇労働組合(釜日労)委員長。釜ヶ崎就労・生活保障制度の実現をめざす連絡会(釜ヶ崎反失業連絡会)共同代表。特定非営利活動法人釜ヶ崎支援機構理事長。

経歴[編集]

  • 1951年、愛媛県生まれ[1]
  • 1969年、東大阪市の私立大学に進学[1]
  • 1971年6月、山田が委員長の文化委員会が全学集会でスト権を確立し、校舎をバリケード封鎖。山田は凶器準備集合、公務執行妨害、傷害などの容疑で逮捕され、起訴後に退学処分となった[2]
  • 1973年8月、大学時代の先輩に誘われて釜ヶ崎に入る。日雇労働者として働きながら、暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議(釜共闘)で活動する[3]
  • 1976年、釜ヶ崎日雇労働組合の結成に参加し、副委員長に就任[4]。初代委員長は稲垣浩
  • 1980年、釜ヶ崎日雇労働組合の委員長に就任[4]
  • 山田らは労働者にリンチを加えた建設業者の飯場事務所に火炎瓶を投げ込む事件を起こした。山田はこの事件で逮捕され、3年6ヶ月の実刑判決を受けて服役した[5]
  • 1993年秋、釜ヶ崎就労・生活保障制度の実現をめざす連絡会(釜ヶ崎反失業連絡会)が発足。神父の本田哲郎と共に共同代表に就任[6]
  • 1999年、特定非営利活動法人釜ヶ崎支援機構の結成に参加し、副理事長に就任。理事長は本田哲郎[7]
  • 2000年、特定非営利活動法人釜ヶ崎支援機構の理事長に就任[1]
  • 2010年、釜ヶ崎日雇労働組合委員長を退任[8]。新委員長は山中秀俊

脚注[編集]

  1. a b c 苅谷剛彦編『ひとびとの精神史 第8巻 バブル崩壊―1990年代』岩波書店、2016年
  2. 神田誠司『釜ヶ崎有情』講談社、2012年、79-80頁
  3. 神田誠司『釜ヶ崎有情』講談社、2012年、80-83頁
  4. a b 神田誠司『釜ヶ崎有情』講談社、2012年、86頁
  5. 神田誠司『釜ヶ崎有情』講談社、2012年、87-88頁
  6. 神田誠司『釜ヶ崎有情』講談社、2012年、90頁
  7. 神田誠司『釜ヶ崎有情』講談社、2012年、99-100頁
  8. 神田誠司『釜ヶ崎有情』講談社、2012年、106頁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]