小谷野寛一
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小谷野 寛一(こやの かんいち、1909年8月28日[1] - 1998年6月[2])は、歌人、郷土史家。
埼玉県入間郡越生町生まれ[2]。飯能市、入間市内の小中学校に40年余り勤務[3]。1970年退職[1]。戦前は井上陽らと歌誌『みさご』を編集。戦後は飯能市内の複数の短歌サークルを指導し、飯能歌人会初代会長、埼玉県歌人会理事を務め、歌誌『作風』『宇宙風』に所属[2]。俳句の会「飯能山麓会」の同人で俳号は小谷野渙[4]。1978年に同会は埼玉県主催の第1回文化ともしび賞を受賞[5]。1980年時点で飯能市社会教育指導員、飯能市第二区公民館長、飯能歌人会会長、埼玉県歌人会常任理事[1]。1993年に教え子たちによって飯能市南の竹寺境内に歌碑が建立された[2]。
『飯能市史 資料編Ⅵ(民俗)』(飯能市、1983年)の執筆主任[1]、調査員[6]、飯能郷土史研究会顧問も務め、著書にライフワークともいえる『民俗茶ばなし(正・続)』(飯能郷土史研究会、1980・1983年)がある[7]。作文の会編『先生が書いた童話集 初級 かえるのこども』(友文社、1957年)[8]、中野好夫、坂西志保編『教師』(潮文社、1957年)、秋谷豊編著『埼玉の文学――その作品と風土』(さきたま出版会、1979年)などにも執筆した。
著書[編集]
- 『扱業というもの』(小谷野寛一、1966年)
- 『書くということ』(小谷野寛一、1968年)
- 『赤い鳥時代の児童詩――わがおしえ子の詩』(編、小谷野寛一、1968年)
- 『歌集 日月去来』(飯能歌人会、1969年)
- 『話すということ』(小谷野寛一、1970年)
- 『民俗茶ばなし』(飯能郷土史研究会[はんのう文庫]、1980年)
- 『続民俗茶ばなし』(飯能郷土史研究会[はんのう文庫]、1983年)
- 『手紙の本』(小谷野寛一、1986年)
- 『歌集 生と死のはざま』(小谷野寛一、1986年)
- 『続々民俗茶ばなし』(小谷野寛一、1993年)
- 『日曜随筆』(小谷野寛一、1997年)
出典[編集]
- ↑ a b c d 『民俗茶ばなし』著者略歴
- ↑ a b c d 綾部光芳「特集「飯能の石仏と歌碑」飯能市の歌碑―万葉から現代まで」『はんのうお宝スポット』VOL.05(PDF)飯能市教育委員会生涯学習課(文化財担当)、2010年3月31日
- ↑ 『続民俗茶ばなし』著者略歴
- ↑ 飯能山麓会『第二合同句集 山麓』小谷野寛一、1978年
- ↑ 『埼玉年鑑 昭和55年版 本編』埼玉新聞社、1979年、226頁
- ↑ 『続々民俗茶ばなし』著者略歴
- ↑ 吉田靖「偲・小谷野寛一氏」『郷土はんのう』第19号(PDF)飯能市文化財研究会、1999年3月31日
- ↑ 根本正義「作文の会と児童文学」『東京学芸大学紀要 第2部門』第46巻、1995年
関連項目[編集]
関連文献[編集]
- 飯能山麓会『合同句集 山麓』(小谷野寛一、1978年)
- 飯能山麓会『第二合同句集 山麓』(小谷野寛一、1978年)
- 飯能山麓会『第三合同句集 山麓』(山麓会同人、1990年)
- 新井赤城『美しく』(小谷野寛一監修、渋谷百司、1996年)