大吉寺 (世田谷区)

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大吉寺

大吉寺(だいきちじ)は世田谷区世田谷にある浄土宗の寺院である。世田谷三十三ヶ所観音霊場4番札所。作家寺内大吉の生家である。

概要[編集]

大吉寺の創建年代は不詳。浄土宗に属し、護国山天照院と号する。開山は縁誉上人超察和尚であるが、寂年は不詳。世田谷吉良の祈願所として真言宗に属したが、吉良家の衰亡とともに衰退した。江戸時代に、目黒祐天寺の祐天とその弟子祐海の尽力により浄土宗寺院として再興され、除地6畝10歩を所有した。境内に地蔵堂跡がある。

伊勢貞丈[編集]

伊勢家は室町幕府の政所執事を務めた家柄と知られており、江戸時代中期には幕府の旗本(幕臣)である。殿中の礼法故実を伝える伊勢流を称した。

伊勢貞丈は幕臣の子として1718年1月29日(享保2年12月28日)江戸麻布鷺森に生まれた。1745年9月13日に御小姓組御番勤となり、儀式周旋、将軍の随行を担当した。1784年まで務め、1784年7月15日(天明4年5月28日)、68才で没した。港区芝西久保の大養寺に葬られたが、のち1922年に世田谷大吉寺に改葬された。

伊勢貞丈は若いころから有職故実を研究し、中世以降の武家の制度や礼式に精通し、その著書は当時の人々に珍重された。伊勢家は貞丈の代に隆盛となり、その著は170種余りに及ぶといわれ、江戸時代における有職故実の頂点に立った。墓碑の6月5日行年70は公儀に届出た年齢である。著書に『平義器談』『四季草』『貞丈雑記』などがある。貞丈には男子がなく、竹中家から養子伊勢貞敦を迎えたが、病気のため家を嗣がず、その子貞春に10数部の著述がある。貞春の孫貞友は千賀春樹らとともに「兵丈雑記」16巻32冊を浄書校正し、1843年に出版した。

基本事項[編集]