大久保清
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大久保 清〈おおくぼ きよし、1935年1月17日 - 1976年1月22日〉とは、群馬県の連続婦女暴行殺人鬼。
犯罪歴[編集]
- 1935年に、群馬県の高崎市に生まれる。母の父がロシア人で、ロシア人の血が混ざっているためイケメンであった。
- 父親は家に女を連れ込んでは子供の見ている前で手籠めにするという息子以上の異常者だったという。後に、大久保の妻も兄嫁も父の毒牙に掛かっている。
- 小学生のときに女の子の体に石を詰め込む事件を起こす。被害者の親から抗議された母親は「ボクちゃんがそんなことをするわけありません」と言って取り合わなかった。
- 定時制高校を中退後、東京の電気店に勤める。
- 1952年、女湯を覗いて逮捕され解雇される。群馬に戻ってラジオ店を開業する。
- 1953年、万引き事件を起こす。
- 1955年、女子高生を強姦し執行猶予付きの有罪判決を受けるが、同年、再び強姦事件を起こし実刑判決を受ける。
- 1960年、出所直後に婦女暴行未遂事件を起こすが不起訴。
- 1962年、結婚する。その後、牛乳屋を経営した。
- 1965年、恐喝事件を起こし執行猶予付きの有罪判決を受ける。
- 1966年には女子高生を、1967年には女子大生を強姦し実刑判決を受ける。
- 1971年、ルバシカを着て画家に成り済まし、出所祝いに親に買ってもらったマツダのロータリークーペを乗り回し「モデルになってくれ」と女性に声を掛け、多数を強姦、8人を殺害した。
- 1973年、死刑判決を受ける。1976年刑死。
- 8人の犠牲者はみな埋められており、他にも埋められている犠牲者が多数いると言われている。届け出ていない強姦被害者は更に多いと言われている。
教訓[編集]
犯罪を繰り返す傾向のある者をすぐに刑務所から出したら、どうなるかを司法に知らしめた事件である。
悪い環境で生まれ育った者は犯罪に走る傾向がある。