坪田譲治
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坪田譲治(つぼた じょうじ、1890年3月3日-1982年7月7日)は、作家・児童文学作家。
人物[編集]
岡山県出身(現在の岡山市)。1915年早稲田大学文学部英文科卒。その後帰郷して島田製織所に勤務。1923年に上京。25年、早大童話会を創設、27年、最初の著作集『正太の馬』を刊行する。プロレタリア文学の台頭で困窮生活を送ったあと、1935年「善太と三平」もの「お化けの世界」を『改造』に発表し、翌年から『風の中の子供』を朝日新聞に連載する。これで人気作家となり、以後も長く児童文学界の先頭に立つ存在で、児童文学雑誌『びわの実学校』を長く主催した。1955年、日本藝術院賞受賞、64年、日本藝術院会員。74年、朝日賞受賞。ほかに大人向けの短編集『せみと蓮の花』がある。
小川未明、浜田広介とともに、古い児童文学として、山中恒や古田足日らの新進の児童文学作家に批判されたこともあった。
岡山市では[[[坪田譲治文学賞]]を創設、児童文学を中心に広く文学作品に授与している。