四宮千絵

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四宮 千絵(しのみや・ちえ,1976年-)は,日本の社会運動家ヴィーガンフェミニスト。あらゆる生物に対する差別・搾取に反する立場をとる。熊本県南阿蘇地方で,野良猫などの動物の保護活動,自然農法の支援活動などに従事する。ペンネームは猫家知恵蔵。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

 1976年,熊本市に生まれる。会社員である父と専業主婦である母のもとに育つ。小学生のころより,外国人と積極的に交流を持ち,中学生のころには,英語のコミュニケーション能力を身に付けていた。ホームステイをする外国人の世話を任されることも多く,様々な外国文化に親しむようになる。

学生時代[編集]

 1995年4月,東京外国語大学外国語学部ロシヤ・東欧語学科に進学する。大学では,主にロシア文学を中心に学ぶ。

学生時代に,落語に興味を持つようになり、浅草の寄席へも通い,落語を日常的に聴くようになる。

職歴・活動歴[編集]

語学教師[編集]

 大学卒業後,熊本に戻り,語学教師として日本人に対して英語を,外国人に対しては日本語を教える。

 なお,当時の同僚であり,パートナー関係にあったイギリス人男性がヴィーガンであり,ヴィーガンの考え方やライフスタイルを知るきっかけとなった。

保護猫活動[編集]

 2009年から,藤好クリニックの事務職として勤務する傍ら,同院長の藤好建史とともに保護猫の活動に着手する。竜之介動物病院の徳田竜之介院長の支援を得て,地域の野良猫のTNR活動を進める[1][2]

 2018年2月1日に,藤好建史を代表として,NPO法人南阿蘇保護猫支援プロジェクトが設立され,そのスタッフとして活動を支える.活動地域が南阿蘇地域から広がったことを受け,2019年10月に名称がNPO法人さくらねうねうに変更される。

反原発運動[編集]

 2011年3月11日に発生した東日本大震災福島第一原子力発電所を受け,反原発運動に参加するようになる.

 また,反原発運動の一環として,野宿者支援活動に参加する.東京の反原発団体たんぽぽ舎が年末に行う野宿者支援活動に賛同し、衣類や食料を送る活動を行っていた。

動物保護運動およびヴィーガンとしての活動[編集]

 保護猫活動と並行して,動物保護活動にも取り組み,また,2012年4月26日にヴィーガンへと転向する.2012年4月に,神戸における犬猫殺処分反対デモに参加した際,NPO法人アニマルライツセンターのスタッフと交流を得たことをきっかけとして,ヴィーガンになることを決意した。

 2014年頃より,動物保護施設オープンセサミのサポーターとなる。2018年には,同施設を日本初のファームサンクチュアリにするべく,アニマルライツセンターとの橋渡し役を担い,同施設は豚や鶏などの畜産動物も受け入れるようになる[3][4]

 2018年には,道の駅あそ望の郷くぎのにあるヴィーガンカフェ「南阿蘇食堂 泉(せん)」の店長に就任し,道の駅初のヴィーガンカフェとして注目される(ただし,2020年8月閉店)[5]。また,みなみあそ観光と協力し,南阿蘇ベジマップを作成し、ベジフレンドリーエリアとして注目される[6]

その他[編集]

 2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件の後、浄土真宗本願寺派の僧侶たちとともに、平和を願う活動を行う。このころから、平和とはなにかを真剣に考えはじめ、さまざまなことに疑問を持ちはじめる。これと関連して,2001年から不登校児童サポートもはじめる。

思想的背景・影響を受けた人物[編集]

 あらゆる生物に対する差別・搾取に反する立場をとる。その意味では,動物の権利にとどまらず,広く平和や人権の問題に対して関心を寄せ,活動に従事してきた。

 フェミニズムに関しては,上野千鶴子伊田広行の影響を強く受ける。特に伊田とは交流を結び,自著の出版の際には,多くのアドバイスを得る。また,伊田からデートDVについて学び,のちに熊本市内でデートDVに関する講演を行った。

著書[編集]

・『Veganという生き方:どうしてお肉を食べないの?に答えるたくさんの理由』自費出版,2014年.

脚注[編集]

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外部リンク[編集]

・知恵蔵日記(本人ブログ)[1]

・Hachidory(本人紹介ページ)[2]