嘉村礒多
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嘉村 礒多(かむら いそた、1897年12月15日- 1933年11月30日)は、日本の作家。
人物[編集]
山口県出身。地主の家に生まれ、山口中学校へ進むが人生上の悩みから退学。キリスト教に親しむ。21歳で結婚するが夫婦仲が悪く、のち奉職した女学校の裁縫教師と恋におち、駆け落ちする。1926年、中村武羅夫主宰の『不同調』に参加し、葛西善蔵の口述筆記をするようになる。「業苦」「崖の下」などを発表、自作が『中央公論』に載り、「天下をとった!」と歓喜するさまを次の小説に書いたことが話題になった。私小説作家であった。
1929年『近代生活』同人となり、新興芸術派に属する。「途上」を発表。
35歳で病気のため死去した。
伝記[編集]
- 太田静一『嘉村礒多 その生涯と文学』弥生書房、1971
- 太田静一 〔ほか〕『嘉村礒多の妻ちとせ』鳥影社、1993年
- 堂迫充『遥かなる雲 私小説家・嘉村礒多の苦闘の短い生涯』東洋図書出版、2007