司馬欣

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司馬 欣(しば きん、? - 紀元前203年[1])は、末期から楚漢戦争期にかけての武将将軍を務め、秦滅亡後はの諸侯王となった。

生涯[編集]

秦の始皇帝の時代に藥陽(現在の陝西省臨洮県の東北)の獄掾(牢獄と訴訟を司る官)であったが、この時に逮捕された項梁を釈放した事がある[1]

始皇帝の崩御で全国各地で反乱が起こると、章邯の副将として各地の反乱軍鎮圧に貢献したが、紀元前207年項羽の楚軍に敗れて投降し、項羽から上将軍に任命された[1]。秦滅亡後、項羽から塞王に封じられる[1]。しかし紀元前206年、東進してきた劉邦の軍勢に敗れて降伏。翌年に劉邦が項羽に大敗すると再び項羽に帰順した。

紀元前203年、項羽から成皋の守備を任されたが、劉邦の軍勢に大敗して自害した[1]

脚注[編集]

  1. a b c d e 青木五郎、中村嘉広 編『史記の事典』大修館書店、2002年、p.498

参考文献[編集]