原子爆弾落下中心地碑
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原子爆弾落下中心地碑(げんしばくだんらっかちゅうしんちひ)長崎県長崎市松山町の平和公園内にある碑。平成28年10月3日に、国指定史跡に指定された。
長崎市にアメリカのB29爆撃機ボックスカーから投下された原子爆弾は、昭和20年(1945年)8月9日午前11時2分、長崎市松山町171番地の上空約500mで炸裂した。瞬間の中心温度は摂氏数百万度に達し、爆発からの1万分の1秒後には約30万度の火球を形成したと推定されている。また、火球はおよそ1秒後には最大となり、半径約240メートルまで膨張し、爆発直後の爆心地の地表の温度は、3,000度から4,000度に達したと推定されている。この跡地に、昭和20年(1945年)原子爆弾災害調査団がアスベスト製標柱を建立し、昭和21年(1946年)に、中心地点を示す矢印を表示した。昭和23年(1948年)に、矢印の表示を取り除き2、3メートル盛土して木製の標柱へ建替えられた。昭和31年(1956年) 3月 木製の標柱を蛇紋岩製の高さ6メートル、幅1メートル、0.5メートルの三角柱へ建替え、昭和42年(1967年)末に風化で蛇紋岩が剥げ落ちたため、昭和43年(1968年)3月三角柱の表面の張り石を黒御影石製に張替えた。当時長崎市内にはおよそ24万人の人が暮らしていたが、死者は約7万4,000人、負傷者約7万5,000人と推定されている。原爆の熱線と爆風に火災が重なったため被害は大きく広がり、爆風で壊された後に起きた火災で焼けた家が多くあり、家の下敷きになったまま火災によって生きたまま焼かれ命を失った。周辺には3000度の熱で焼けた家の瓦、レンガ、ガラスなどが今も大量に埋没している。
アクセス[編集]
- JR長崎駅前から路面電車に乗り平和公園電停より徒歩1分。