千日尼(せんにちに、生没年未詳)は、鎌倉時代中期の日蓮宗の尼僧。阿仏房尼とも呼ばれる。
承久の乱で順徳天皇が佐渡に流されると夫の遠藤為盛(のちの阿仏房日得、北面の武士であったと伝える)とともに奉仕し、順徳天皇が島で崩御されると、夫とともに剃髪し千日尼と号した。文永8年(1271年)、日蓮が佐渡に配流されると夫妻で日蓮の弟子となる。弘安2年(1279年)に夫が亡くなると子の遠藤藤九郎盛綱をの日蓮のもとにつかわし、遺骨を身延山久遠寺に納めたことが知られる。