副島嘉和

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副島嘉和(1946-)とは統一教会の古い元幹部で統一教会系新聞、世界日報の元編集局長。

人物[編集]

  • 長崎大学在学中、統一教会に入信。大学は中退した。1970年の777組(数字に誇張がある可能性もある)の集団結婚式に参加した信者の1人である。
  • 統一教会の広報局長をしていたが、購読部数が低迷している世界日報社の経営を立て直すため、1980年、統一教会から世界日報社に送り込まれ編集局長を務めた。
  • 購読部数を増やすために、統一教会の広報紙のような新聞から一般紙のような新聞に切り替える方針を副島は打ち出した。
  • 副島の方針転換の結果、購読部数は5倍にも増えるが、方針転換が文鮮明教祖の逆鱗に触れたとされている。
  • 1983年、副島の解任を要求する国際勝共連合の関係者(統一教会員)百人ほどが世界日報社を占拠。社員らを暴行し多数を負傷させる事件を起こす。副島は統一教会によって辞任に追い込まれ、統一教会からも除名された。
  • 1984年。副島は統一教会によるインチキ募金や霊感商法の実態を文藝春秋に内部告発する。
  • 1984年6月2日、東京都世田谷区の自宅近くの路上で何者かに殴られた上、刃物でメッタ刺しにされ一時、意識不明の重体となる。心臓の近くで深さ15センチにも達する刺し傷もあったという。犯人は正道術の使い手であったという。
  • 副島は自力で自宅に逃げ、救急車で病院に運ばれたが、このとき玄関は血の海であったという。
  • 副島の手記が文藝春秋に掲載されたのは、この殺人未遂事件後である。

関連項目[編集]

ちゃんぽん銃撃事件