丸子達就
丸子達就(まるこ たつなり、1987年10月9日[1] - 2019年7月18日)は、日本のアニメーター。京都アニメーション所属。
経歴[編集]
北海道札幌市出身(幼少期は千葉県在住[2])。兄と妹がいる[3]。道内の大学に進学後、「夢を諦められない」と半年で退学(本人曰く「ニート」だった[4])。それから約1年半かけてスーパーマーケットなどのアルバイトで資金を貯め[5]、2008年に開校した札幌マンガ・アニメ学院の第1期生として入学し、夜勤のアルバイトを続けながら通学した[6]。同期生の間で天才と呼ばれており「静止画なのに、今にも動き出すような絵を描いた」「メカの描写がうまく、戦車の絵は戦闘の映像が目に浮かぶほど真に迫っていた」と[7][8]、講師からは「入学してきた段階で既に画力が飛び抜けていた」「技術は講師を超えるほどのレベルで、教えることは何もなかった」「(卒業制作について)専門学校で12年間教えているが、作品の構成やクオリティーが満点なのはこの作品だけ」[9][10]と評価された。普段は内気で寡黙だったが、「らき☆すた」や「けいおん!」の話題になると饒舌だった。当時から難関として知られる京都アニメーションに憧れており、採用試験に合格して2011年に入社した。
入社1年目は新人アニメーターとして動画を担当[11]、2年目には原画担当に昇格し[12][13]、更に2016年10月放送開始の「響け! ユーフォニアム2」からは作画監督を務めるなどの活躍を見せていた。だが、2019年7月18日に京都アニメーション放火殺人事件が発生した後、北海道新聞(2019年8月3日朝刊1面)に訃報が掲載され、8月27日には遺族の了承の上で京都府警察によって死亡が公表された。31歳没。
遺族は、事件発生から間もない頃は取材を拒否していたが[14]、2020年5月27日に事件の被疑者が逮捕された際には北海道新聞の取材に応じている[5]。その際、葬儀には多くの友人が集まった事、高校時代の後輩や専門学校の同期生から息子の力量を聞かされた事などを話した。取材に応じた理由を「ある一人のアニメーターではなく、かけがえのない丸子達就という名前のアニメーターの生きた証を残したい」と語った。
逸話[編集]
- 将来は札幌に帰りたいと考えており[15][16]、事件発生の半月前には京都アニメーションを退職して東京で転職する意向を示していた[17]。
- 毎年の年末年始には札幌に帰郷していた。多忙故に、夏に帰れないのを嘆いていた[18]。
- 動画担当の頃は、作画水準は高いが筆が遅いと上司などから評価されていた[19][20]。
脚注[編集]
- ↑ betel_のツイート (387783730674552833)
- ↑ betel_のツイート (186670665988964352)
- ↑ betel_のツイート (417903639659704320)
- ↑ betel_のツイート (418293145202216960)
- ↑ a b 北海道新聞2020年5月28日朝刊27面
- ↑ betel_のツイート (38843044035829760)
- ↑ 朝日新聞2019年8月27日
- ↑ 京都新聞2019年9月18日
- ↑ 毎日新聞2019年8月28日
- ↑ 時事通信2019年8月28日
- ↑ betel_のツイート (104584423130935297)
- ↑ betel_のツイート (251261402302529536)
- ↑ betel_のツイート (272304473001562112)
- ↑ NHK2019年8月27日
- ↑ betel_のツイート (101442538090659840)
- ↑ betel_のツイート (133761696794808320)
- ↑ betel_のツイート (1145623670540230656)
- ↑ betel_のツイート (248000559758594048)
- ↑ betel_のツイート (102950347554832386)
- ↑ betel_のツイート (148920519553585152)
外部リンク[編集]
- 京都アニメーションでの実績(アニメ@wiki)
- 専門学校の卒業制作 「スイート・レモネード」 - YouTube
- 京アニ事件1年 両親、涙で遺影に問う日々(京都新聞) - 丸子達就の両親への取材の可能性がある記事