ログネダ
ログネダ(Rogneda、966年頃–1002年頃)は、ポロツク公国の亡国の公女。聖ウラジーミルによって強姦され妊娠した悲劇の女性として知られる。
生涯[編集]
ウラジーミルとの結婚を拒絶する[編集]
ログネダは、ポロツク公ログヴォロドの娘として生まれた。彼女は父のもと、ポロツクで成長し美しい少女となった。980年、隣国のウラジーミルはこれを聞きつけ、ポロツクに対する領土的野心もあり、ログネダに対して結婚を求めた。ウラジーミルはキエフ大公スヴャトスラフ1世が奴隷の娘を犯して生まれた子だったが、当時ノヴゴロド公となっていた。
14歳のログネダは父をとおして次のように返答した。「奴隷の子と結婚するなんて、嫌に決まってます」。そして、ログネダはウラジーミルの兄ヤロポルクと結婚したいと思っていた。ヤロポルクはキエフ大公であり、申し分のない相手だった。こうしてログネダの結婚は平穏に決まるかと思われた。
しかし、ウラジーミルは自分に対する少女からの侮辱を決して忘れることはなかった。
ウラジーミルに強姦される[編集]
同年、ウラジーミルは兄であるヤロポロクを破り、彼を暗殺してしまった。そして、ヤロポロクの妾だった美貌のギリシア人修道女ユリアを強姦し、妊娠させた[1]。
さらにウラジーミルは余勢をかってポロツクに侵入。宮殿でポロツク大公とその息子たちを拘束した。そして、ログネダを捕らえた。
ログネダは泣いて謝り、「どうか許してください」と頼んだが、ウラジーミルは少女の嘆願を認めなかった。そして、最も残忍な方法で彼女を辱めることとした。ログネダの両親や兄弟たちその他大勢が見ている前でログネダを犯すことにしたのである。14歳の少女の悲鳴が亡国の宮殿に叫び渡った。その後、ログネダの家族は皆殺しとされた。
ウラジーミルの子を孕む[編集]
キエフ大公となったウラジーミルは、ログネダを無理やり妻とした。ログネダはすぐに妊娠し、翌年には男子を産んだ。その後もウラジーミルは、数多くいる妻のうちログネダのことを気に入っていたようで、わずか9年のあいだに合計6人の子を孕ませている。989年、23歳のログネダその他大勢の妻たちは突然、離縁されることとなった。ウラジーミルがビザンツ皇女アンナと結婚し、キリスト教の導入を図ったためである。
ログネダはウラジーミルを憎み、恨み、あるとき、暗殺を決意するが失敗した。そして、僻地の村に幽閉されて一生を終えた。子のイジャスラフがキエフ大公となったのが数少ない救いだと言えるかもしれない。ひ孫の少女エウプラクシアは神聖ローマ帝国で輪姦されたことで知られる。