モンセラ・カバリェ
モンセラ・カバリェ(Montserrat Caballé, 1933年4月12日[1][2] - 2018年10月6日[3])は、スペイン出身のソプラノ歌手。[4]本名はマリア・デ・モンセラ・ビビアナ・コンセプシオン・カバリェ・イ・フォルク(Maria de Montserrat Viviana Concepción Caballé i Folch)[5]。
バルセロナ出身。地元のリセウ音楽院でエウゲニア・ケメニー、ナポレオーネ・アンノバッツィとコンチータ・バディアの各氏に声楽を学び、1954年に音楽院から金メダルを贈られた。1956年からバーゼル市立劇場に所属し、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの《魔笛》の夜の女王の侍女のような端役からキャリアを積んでいった。1959年にはブレーメンに移り、ジュゼッペ・ヴェルディの《椿姫》のヴィオレッタ役やピョートル・チャイコフスキーの《エフゲニー・オネーギン》のタチアナ役等で成功を収めたが、同年のミラノ・スカラ座でリヒャルト・ヴァーグナーの《パルジファル》が上演された際には花の乙女達の一人として参加するに留まった。1960年にウィーン国立歌劇場に登場したのを皮切りに、地元バルセロナやリスボンの歌劇場にも登場するようになり、1964年にはテノール歌手のモンセラ・マルティと結婚している。1965年にニューヨーク・オペラ協会のコンサートでマリリン・ホーンの代役としてガエターノ・ドニゼッティの《ルクレツィア・ボルジア》の表題役を歌ってオペラ歌手としての名声を確立し、グラインドボーン音楽祭、メトロポリタン歌劇場、ミラノ・スカラ座等にも主役級の役柄で出演するようになった。1972年にはヴェルディの《椿姫》のヴィオレッタ役を歌ってコヴェントガーデン王立歌劇場に初登場している。1988年にはフレディ・マーキュリーと共演してアルバム《バルセロナ》を制作している。2002年にバルセロナのリセウ大劇場に於いてカミーユ・サン=サーンスの《ヘンリー8世》のキャサリン・アラゴン役で出演したのが、オペラ歌手としての仕事納めとなった。2014年バルセロナ近郊カンブリスでの公演を最後に歌手活動から引退。2015年には脱税疑惑で起訴され、25万ユーロの罰金[6]と執行猶予付きの禁錮6ヵ月[7]の判決を言い渡されている。
バルセロナにて没。
脚注[編集]
- ↑ 『The Grove Book of Opera Singers』 Oxford University Press、2008年、67頁。ISBN 9780195337655。
- ↑ アーカイブ 2021年11月26日 - ウェイバックマシン
- ↑ “モンセラ・カバリェ と フレディ・マーキュリー in Ibiza”. 2022年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年1月28日確認。
- ↑ Blyth, Alan (2018年10月7日). “Montserrat Caballé obituary”. The Guardian. オリジナルの2022年1月29日時点によるアーカイブ。 2022年1月29日閲覧。
- ↑ Jones, Lesley-Ann 「14 Montserrat」『Love of My Life: The Life and Loves of Freddie Mercury』 Coronet、2021年。ISBN 9781529362343。ページ数記載なし。
- ↑ アーカイブ 2022年1月29日 - ウェイバックマシン
- ↑ “オペラ界のスター、モンセラート・カバリエに詐欺の罪で禁錮6ヶ月の判決”. Sputnik. (2015年12月15日). オリジナルの2022年1月29日時点によるアーカイブ。 2022年1月29日閲覧。