メソポタミア

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メソポタミアとは「河の間の土地」の意味で、主にティグリス河とユーフラテス河に挟まれた地域である。
文化・文明・国家としては、高校の世界史で習う「シュメ・シュメ=アッカド・ウル第三、古バビ・アシ新・アケメネス、アレ・ヘレ・パルチア・ササン・イスラム」の順に成立したとされる。すなわち

  • シュメル文化
  • シュメル=アッカド文化
  • ウル第三帝国 - ジッグラトの建設
  • 古代バビロニア帝国 - ハンムラビ法典で知られる
  • アシシン - アッシリアから新アッシリア帝国
  • アケメネス朝ペルシャ
  • アレクサンダー大王の東征
  • ヘレニズム文化 - ギリシャ的な文化の影響
  • パルティア
  • ササン朝ペルシャ
  • イスラム文化

といった大雑把な流れがある。個々の文化・文明・国家については詳しくは述べない。

概要[編集]

小麦の原種にあたる二種が自然交配した地域として知られる。ただし小麦は栽培が難しかったため、主要な穀物は主に大麦[1]だったという。大麦はグルテンを含まないため麺にもならずパンにもならず、粒食すると「その食感はまるで虱を噛むようだ」と蘇東坡がボヤいたという話があるが、大麦の麦芽にも糖化力があるため、発芽させたうえで粥のようにして食べたらしい。つまり「ビールの甘酒」であり、ネスレの「ミロ」はこれに近い。これをアルコール発酵させたものがビールであり、メソポタミアとエジプトを要する豊穣半月弧地帯は「ビール発祥の地」と云われる。 現在はイラクに相当し、自衛隊が「キャプテン翼」でラッピングした給水車で駆け回っていたサマーワは、かつてのバビロンの近くに位置する。イラク国民の八割はイスラム教徒であり偶像崇拝はタブーのはずだが、「戦乱で国土はボロボロなのにサッカーだけは強い」というお国柄なので、キャプテン翼は別枠であるらしい。まぁ、イスラム教は本来他宗教には寛容であり、正教系のキリスト教徒がモスクでミサをやっていた(お茶の水のニコライ堂はタマネギ頭である)こともあるので、「日本人のやってることだから」と思って許す、という態度かもしれない。
自衛隊が給水活動を行なっていたときの風景写真を見ると一面の沙漠のように見えるが、あれはチグリス河が暴れ川であったために、雨期になるとそのつど洪水が起きて泥の海となるのが原因である。したがって、治水・灌漑のインフラの整備が不十分だと生活用水や農業用水の供給もままならず、さらに塩害もあって、その部分の整備を手伝った日本の土木・水利用・農業技術は信頼を得ているという。自衛隊がイラクからの撤収の準備をしていた頃に、「自衛隊帰るなデモ」が起きたという。

宗教[編集]

現在では「国民の八割がイスラム教徒で、二割がクルド人」とされるが、これは日本人向けの大雑把な説明である。
少なくとも古代バビロニア(「新バビロニア時代」と呼ばれる次期もあり、ネブカドネザル王が「バベルの塔」を築いた頃をいう)では多神教であった。書記の神ナブーなどが知られている[2]。その後、マケドニアのアレクサンダー大王(アレクサンドロス。ナイル熱に罹患してバビロンで死去したという)の東征によってギリシャ文化(ヘレニズム文化)との関係が強まったが、いわゆるギリシャ神話(ギリシャ神話・ローマ神話は多神教に基づく)との共通点はそれほどない。
イスラム教の影響はあるが、クラーン(一般的にはコーラン)の「アッルラーの他に神なく、光なし」という文言を「アッルラーが最高神である」と捉えるか「アッルラーは唯一神である」と捉えるかによって立場が異なる。

言語と文字[編集]

アッカド語を楔形文字によって表記した粘土板が史料として大量に遺されているため、古代バビロニアは「都市文化発祥の地」とされることもある。
古代エジプトは情報媒体(メディア)が石かパピルスであった[3]ために史料に乏しい憾みがあるが、逆に稀少であるがゆえに解読が進んでいるという指摘もある。


脚注[編集]

  1. 紀元前三千五百~三千百年頃のウバイド文化期には灌漑農法によってバビロニアの乾燥地帯でも大麦が栽培可能となった。
  2. 原始バビロニア長方形なども参照されたい。
  3. 羊皮紙に近いものもあったらしいが、経年劣化によって消失している。