マルセル・モース
マルセル・モース(Marcel Mauss、1872年5月10日 - 1950年2月10日)は、フランスの社会学者である。エミール・デュルケームの甥であり、社会学と人類学の境界で研究を行った。現在では、異文化の魔術、生贄、贈与交換棟の基本原理を明らかにする研究を行ったと評価されている。
経歴[編集]
1872年5月10日にフランスロレーヌ地域圏ヴォージュ県エピナルでユダヤ人の家族に生まれる。エミール・デュルケームが教鞭を取っていたボルドーで哲学を学ぶ。1893年に1級教員資格[1]を得た。リセの大学で教える代わりに、パリで比較宗教学とサンスクリットの研究に従事した。
1886年の最初の出版は、社会主義的な文学であった。社会学会において他のメンバーと同様に社会主義に傾倒した。その後、グランゼコールの一つであるパリ高等研究実習院[2]で「宗教史と未開文明」の講座で職を得た。第1次世界大戦では多くの友人だけでなく、叔父のデュルケームまで亡くなった。1931年以降はコレージュ・ド・フランスで社会学を講じた。反ユダヤ主義と戦い、第2次世界大戦後の1950年に亡くなった。
評価[編集]
フランス民族学の創始者と言われるモースの手法はポリネシアの部族から古代ゲルマン民族まで様々な事例をもとに贈る義務、返す義務、受け取る義務などからなる経済、法、社会等の体系を精密に調べ、それらの道徳と経済が現代社会にも連綿と継続していることを実証したことが評価される。レヴィーストロースはモースの業績を交換は取引というより、互酬的な贈与の形式で行われることを見出した。そして、互酬的な贈与の形式は現代社会でも行われているばかりでなく、より重要な位置づけを占めていることを見出した。
モースは身体技法が文化や歴史の影響により様々に異なることを指摘した最初の社会学者であった。歩き方、休むときの姿勢が文化により異なることを指摘した[3]。
主要著作[編集]
- 『供犠の本質と機能に関する試論』,1898年[4]
- 『社会学:方法と対象』、1901年[5]
- 『未開の分類形式』、1902年[6]
- 『魔術の一般理論』、1902年[7]
- 『贈与論』、1924年[8]
- 『社会学と人類学』[3]
- 『民族誌ハンドブック』、1967年 (日本語訳なし)