マッシモ・プラデッラ
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マッシモ・プラデッラ(Massimo Pradella, 1924年[1]12月5日[2] - 2021年10月23日[3])は、イタリアの指揮者。本名はマッシモ・パデッラ(Massimo Padella)[4]。
アスコーナの出身。幼少期より母親にピアノ、叔父のジョルジオ・セニガリアにヴァイオリンの手ほどきを受ける。母親がユダヤ系であり、1938年にイタリアで人種法が制定されたため、迫害を受けるようになり、1941年に家族でローマに移住。ローマ聖チェチーリア音楽院に進学し、カルロ・ゼッキにピアノ、レミー・プリンチペにヴァイオリン、ゴッフレド・ペトラッシに作曲を学んだ。ローマでは学業の傍らでレジスタンス活動にも身を投じ、1944年に祖国解放義勇部隊が結成された時には入隊している。1954年にローマで指揮者としてデビュー。1959年から1963年までミラノ・イタリア放送交響楽団の首席指揮者をニーノ・サンツォーニョと共同で務めたが、この任に就いたのを機に姓の「パデラ」を「プラデッラ」に替えて活動するようになった。任期を終えた後も、イタリア各地のイタリア放送協会のオーケストラに客演し、放送協会と良好な関係を保った。
脚注[編集]
- ↑ 1925年生まれとする資料もある。(アーカイブ 2016年8月18日 - ウェイバックマシン)
- ↑ “Massimo Pradella”. 2015年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年4月15日確認。
- ↑ アーカイブ 2021年10月26日 - ウェイバックマシン
- ↑ Marotta, Giuliano (2020年8月27日). “ADDIO A MASSIMO PRADELLA AMICO E COMPAGNO DELLA GARBATELLA”. Cara Garbatella. オリジナルの2020年10月22日時点によるアーカイブ。 2020年10月22日閲覧。
- ↑ アーカイブ 2021年10月24日 - ウェイバックマシン