ホスピタリズム

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ホスピタリズムhospitalism)とは、施設や病院で長期間生活することにより起こる、言語発達の遅れ・感情鈍磨・情緒不安定・依存性などの傾向。[1]日本語では「施設症」「施設病」とも呼ばれる。

精神科病院[編集]

精神科病院における「ホスピタリズム」とは、患者が長期の隔離を受けることにより、無気力状態になること。ひいては、社会復帰への意欲を失うことも有り、大きな問題である。[2]ホスピタリズムの状態は、うつ病の陰性症状にも似ているため、注意を要する。

ホスピタリズムを防ぐために、地域精神医学地域精神医療の考えが生まれ、現在の医療体制の主流となっている。これは世界的な潮流であるが、具体的な手法については各国で差異が見られる。また、過度に「脱施設化」が進むことによる、新たな問題も見られる。たとえば、継続すべき通院治療がとだえることにより、退院・再入院を繰り返す「回転ドア現象」である。また、病院を追放された患者がホームレス同然の生活を送らざるを得なくなる問題も見られ、脱施設化の動きと平行して、退院後の患者への適切な受け皿システムを構築するなどの、対策を進める必要がある。

社会療法生活技能訓練(SST)、デイ・ケア(ナイト・ケア)、中間施設などの施設・療法も、ホスピタリズムを防ぐ効果が期待される。

1950年に制定された精神衛生法は、患者の勝手な私宅監置を防ぐ、という意味では、当時の精神病を取り巻く社会状況に対して、大変に意義のある法律であった。その一方で、患者を自宅や社会から切り離し、施設内に長期隔離することで、意欲が失われる問題が浮き彫りとなった。欧米では1960年代ごろから、向精神薬の開発に伴い、施設に頼らない治療法が推進され始め、日本でも徐々にその機運が高まっていった。然し1964年のライシャワー事件(外出中の精神障害者が駐日アメリカ大使を刺傷した事件)により、外交関係を重視した国(および厚生省)は、精神障害者への取締りを強化し、「脱施設化」の動きは長らく途絶えることとなった。1970年代も状態に変化は見られなかったが、1983年宇都宮病院事件(精神科病院の看護職員が、入院患者2名を暴行のうえ死亡させた事件)により、旧態依然たる日本の治療制度に、国内外から批判が集まった。これを契機として1987年精神保健法が制定され、入院事情が一変する。あわせて「脱施設化」の動きも高まった。更に1995年には、精神障害者の社会復帰にかんして具体的な記述を盛り込んだ精神保健福祉法が制定され、現在へと至る。

以上で解説した経緯からも伺える通り、「脱施設化」の動きはホスピタリズムを防ぐほかに、患者の人権意識の高まりなどの要因も存在している。

児童養護施設[編集]

児童養護施設における「ホスピタリズム」については、今のところEnpediaよりもWikipediaの記事のほうが詳しいようだ。というわけでそちらを参照して欲しい。[3]若し加筆できる方が有るならば、是非とも加筆していただきたい。

出典・脚注[編集]

  1. ホスピタリズム - 大辞泉
  2. 長期隔離により社会的な技能も失われるため、累加的に社会復帰が遠ざかることとなる。
  3. しかし、Wikipediaの記事では逆に、「精神科病院」におけるホスピタリズムについて解説していない。

関連項目[編集]