プロレス活き活き塾・無限

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プロレス活き活き塾 無限(プロレスいきいきじゅく むげん)は、「自己啓発セミナー『ラブライフ』塾長の久世和彦が『プロレスを通して自己啓発を推進するために設立した団体』」という設定で開催している日本のプロレス興行

歴史[編集]

旗age(旗揚げ)記者会見で発表されたメインイベントは団体が推すエースの佐野直と森谷俊之による有刺鉄線マッチであったが実際に取材のためナイタイスポーツ記者として来場していた片岡"幻"亮(現:片岡亮)がマッチメイクにケチを付けて因縁が勃発。さらに片岡は久世塾長と森谷に暴行を働くという暴挙に出た。片岡が、かつて喧嘩プロレス二瓶組に所属したこともあり、またK-1にも参戦経験のある格闘家でもあったため急遽、その場で遺恨凄惨マッチとして佐野対片岡の試合が組まれることになった。

その後、流血、負傷させられた久世塾長が片岡の当時の勤務先であるナイスポへ抗議に訪れたものの車椅子のまま坂道へ放り投げられ返り討ちに遭い、その数日後には活き活き塾へ入塾したまま家出したプロレスラーの比多一朗太の母親が久世塾長の入院先に現われて子供を帰せと脳天をビール瓶で殴打したりと旗age戦(旗揚げ戦)までのわずか数週間でエースの佐野よりも久世塾長の流血をも辞さないハードバンプそして絶妙なセリフ回しで大ヒールとしてキャラクターの際立った片岡が注目されていくことになった。

これら団体を取り巻く珍騒動は逐一、FIGHTING TV サムライのニュース番組で報道されて当時はインディー団体への偏見が根強かった業界内外で物議を醸した。

2002年4月17日北沢タウンホールで旗age戦(旗揚げ戦)を開催。試合は映像(編集作業を行ったのは後のマッスル坂井)、音楽、スキットを多用してプロレスの範疇を越えた演劇的なストーリー展開など非常にエンターテイメント性が高く業界内では特に制作サイドの関係者の間では高い評価を得た。ただし注目のメインイベントは片岡の右ストレートを食らった佐野が脳震盪を起こしてTKO負け、という後味悪い結果に終わる。試合終了直後に片岡は「打ち合わせのないプロレスは気持ちがいいなぁ!」とアピールしたが、この試合は通常のプロレスの試合とは逆に「事前に勝敗を決めていなかった」との話もある。

5月14日、北沢タウンホールで第2戦を開催。敗戦のショックから行方不明になっていた佐野が興行終了間際に登場するというドラマチックな展開で片岡との因縁の再戦がゴング。片岡のセコンドに付いていた美女の唯華によるスプレー攻撃が片岡に誤爆して、その間隙をぬって見事にジャーマン・スープレックス・ホールドで雪辱を果たした。なお試合前には矢追純一と久世塾長のトークショーが行われて矢追は塾生(観客)に「気合を入れる」と称して宇宙パワーを注入するパフォーマンスを見せた。

6月30日大阪デルフィン・アリーナで第3戦を開催。活き活き塾の軍門に下り片岡がベビーターンしたことで愛想を尽かした唯華が次のパートナーとして久世塾長に目を付けた。だが久世塾長にはフィアンセの千佳がいたことで大阪を舞台に愛憎劇が繰り広げられることになった。

7月26日、北沢タウンホールで開催した第4戦を最後に無期限活動休止。

この団体は公式サイトに記載されている住所がありDDTプロレスリングなどでレフェリーをしていたジャッジ金子(試合会場での目撃談多数アリ)が率いるジャッジサポートの当時の所在地と同一である。さらに塾長と同名の「久世和彦」なる人物(書籍編集者で現在はダイヤモンド社ビジネスメディア局コンテンツ企画開発部部長[1])がジャッジサポートが制作協力した書籍『地獄のアングル―プロレスのどん底を味わった男の告白(永島勝司、ISBN 978-4872575248)』の「編集」としてクレジットされている。

これらのことから、この団体は「ジャッジ金子が次世代のプロレスの1つのあり方を示すために立ち上げた実験プロジェクト」だったと考えられる。直接の関連は不明だが、こうした「常識を超えた」スキットの展開は現在のプロレス界のひとつの潮流であるエンターテイメントに振り切った路線を先取りしていたとも言える。

主要参戦選手[編集]

プロレスラーを先生と呼んでいた。

正規軍[編集]

  • 佐野直
  • 比多一朗太(現:戸田秀雄)

ロード・モリヤーズ[編集]

ブルー・デイモンズ[編集]

  • TETUYA
  • SHINICHI

無党派[編集]

スタッフ[編集]

広報[編集]

  • 石井カイジ
  • 土家園子