ブラニスラブ・カペタノビッチ
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ブラニスラヴ・カペタノヴィッチ(Branislav Kapetanović、1965年 - )は、セルビアの元軍人でNGO活動家、クラリェヴォ(Kraljevo)出身[1]。ベオグラード在住。1993年[1]から技術者として地雷除去部隊に従軍していたが、2000年11月にクラリェヴォでNATO軍によって投下されたクラスター爆弾の不発弾の処理中に事故にあい両手両足を失う[2][3]。その後リハビリを経てNGO連合『クラスター兵器連合(Cluster Munitions Coalition、CMC)』のスポークスパーソンとして、クラスター爆弾撤廃の啓発活動のために世界各地を訪れている[4][5]。
2008年4月には来日し、衆参両院議長などへの表敬訪問や講演などを積極的にこなしたほか[6]、母国の英雄である名古屋グランパスの監督ドラガン・ストイコビッチとも対面を果たし「彼は私たちのヒーローです」と讃えられている[7]。