ビコリム戦争
ビコリム戦争(ビコリムせんそう、Bicholim conflict)は、英語版Wikipediaで作成された架空の戦争であり、嘘の戦争であると気づかれないまま5年間存続していた。
概要[編集]
2007年7月4日に英語版Wikipediaで作成。1640年から41年にかけてポルトガルとマラータ王国との間に起きた戦争と解説されていた。良質な記事に選ばれるなど誰も架空の戦争であると見抜けないまま時が過ぎていく。記事作成から5年後、ユーザーShelfSkewedが誤りを指摘。そして、2012年12月29日に削除されるに至った[1]。
日本語版Wikipedia[編集]
日本語版Wikipediaでも削除が話題になったことで、Wikipedia:ビコリム戦争が作成されている。jawp:Wikipedia:削除依頼/ビコリム戦争で削除も検討されたが存続。Wikipedia名前空間に移動した上で記事が存続することとなった。
他の虚構項目[編集]
この「ビコリム戦争」の5年間という寿命は、ウィキペディアで放置された嘘記事としては8番目に長いものである[2]。例えば、“カエサルの暗殺に関わり、その後アントニウスに雇われた男娼に殺された”とされる「ガイウス・フラウィウス・アントニヌス」なる人物の記事は、悪戯と判明して削除されるまで8年かかっている[2]。また、レバノン沖の地中海に存在すると主張された島「ポルシェジア」(Porchesia)は、虚偽記事であるとして削除されると、“確かに存在するものをなぜ消すのか”と異議を唱えるウィキホリック達によって直ちに再生される、という編集合戦が起きた。英語版アンサイクロペディアにはこの騒動の顛末が「ポルシェジアの虐殺」として一項立てられている[3]。
中国語版ウィキペディアでは「カシェン銀山」という虚構記事が立てられたことがある。
脚注[編集]
- ↑ 「“ウソの戦争”5年誰も気付かず、ユーザー指摘でWikipediaから削除。」
- ↑ a b Kevin Morris (2013年1月1日). “After a half-decade, massive Wikipedia hoax finally exposed” (英語). Daily Dot. 2013年1月9日確認。
- ↑ 『ウィキペディア革命』 アスリーヌ編(岩波書店) 加藤弘一の文芸批評(紀伊国屋書店)