パンパン
パンパン(英: pom-pom, pom-pom girl[1])とは、戦後混乱期の日本で、主として在日米軍将兵を相手にした街娼である[2]。
別名「パンパン・ガール」「洋パン」[3]「パン助[4]」「夜の女[5]」「闇の女[6]」とも呼ばれたが、「夜の女」「闇の女」という呼称はすぐに廃れ、「パンパン・ガール」などと呼ばれるようになった[5]。
語源[編集]
語源は、諸説あってはっきりしていない。以下列挙する。なお、「売春婦の呼び名として各国共通で昔から使われていた」とする文献もある[7](一部の英和辞典はpom-pom girlという単語を見出し語として採録する[8])。
- インドネシア語で「女」を表す「プルンプァン(perempuan[9])」から[10]。米兵が伝える[11]
- 女を呼ぶときに手をパンパンと叩いたことから[10]
- 英語のpom-pomから[12]
- 「パンパン」は標準語の「ペンペン」に対応する沖縄の言葉である。三味線の音を表す擬音語であるが、当時南洋方面には沖縄出身の芸者が多く進出していた。海軍で兵隊言葉として使用されたのち全国に広まった[12]
- 第一次大戦後、日本の委任統治領となったサイパンで、日本海軍の水兵たちがチャモロ族の女性を「パンパン」と手を叩いて呼び、その肉体を味わったことから。その後娼婦も含めた大量移民があったことから「パンパン」と呼ぶ対象が日本人女性にも広まり、また水兵が大東亜の寄港地各地に広めてしまった。現地の水兵たちは「明日は日曜、パンパン上陸」などと言う歌を歌い、パンパン女、パンパン屋、パンパン坂などの発展形も見られた[13]。
- 上陸許可が出て歓楽街に出かけたはいいが、深夜ですでに慰安所が閉まっており、兵士が「パンパン」とドアを叩いて女を起こしたことから[7]
- 仏印あたりで、上陸した日本兵に対し、若い女たちが「パン、パン」と哀願したことから[7][14]戦後、米兵に対して似たような行為に及ぶ日本人女性をパンパンと呼ぶに至った
- パン(麵麭)を求めて稼ぐ女[7]
下位分類[編集]
「パンパン」は不特定多数の連合国軍兵士を客としていた者を指すことが多く、これに対し特定の相手(主に上級将校)のみと愛人契約を結んで売春関係にあったものはオンリーまたはオンリーさんと呼ばれた。「オンリー」の対立概念として、街娼として営業する者をバタフライと呼ぶこともある[10]。
(特に断らない限り出典:[3])
沿革[編集]
一般にこの言葉が広まったのは戦後のことであるが、日本海軍内では戦中から使用されていたとする文献もある[13]。
特殊慰安施設協会(RAA)の廃止(1946年3月26日)に伴い職を失った売春婦が街頭に立ちパンパンとなったといわれるが、RAA廃止前からも見られていたという説もある[3]。いずれにせよ、戦後になって大量に出現した背景には、社会的混乱と困窮に加え、進駐軍将兵の存在があったことは間違いない。実際、彼女たちの7割は外国人専門の「洋パン」だった[5]。
1950年から1955年頃にかけて北海道千歳市内には、アメリカ軍目当てのパンパンが道外から多数流入して一大繁華街を作り上げた。彼女らの仕事場は、パンパンハウスと呼ばれていた[16]。
解釈[編集]
「パンパン」という呼称には否定的なイメージがあり、蔑称だと考えられている[17]。
派手な服装と濃い口紅で[18]、パーマをかけた髪型で街角で煙草を吸う[19]姿がパンパンの典型的なイメージであるが、ジョン・ダワーは「ここに性を抑圧していた戦前の体制に対する反発が見てとれ、戦後日本におけるアメリカ的消費文化(物質主義)の先駆けである」と評する[19]。
その他[編集]
パンパンたちが使用した即席英語をパングリッシュと呼ぶことがある[20]。
パンパン遊び[編集]
子どもの遊びとして「パンパン遊び」というものがあった。莚の上で男女二人ずつが組み合って転がり、他の子とぶつかると相手を変えて続ける[21]。
占領軍によるパンパン狩り[編集]
第二次世界大戦後の日本各地で婦女子が米兵に強姦される事件が発生した。占領軍は米兵に対する性病の感染防止などを理由に、いわゆるパンパン狩りを度々行った[22]。見た目がパンパン風の女性は都立吉原病院へ強制収容されたうえ膣検査されたが、誤って連行された無関係な女性も少なくない[22]。1946年(昭和21年)11月には池袋で、MPと日本の警察が通行中の女性を無差別に逮捕して膣検査を行うという事件も発生し、人権蹂躙と非難されている(板橋事件)[23]。
脚注[編集]
- ↑ 『大きな活字のコンサイスカタカナ語辞典』 三省堂、2010年2月10日、第4版、868頁。ISBN 978-4-385-11063-9。
- ↑ 赤塚行雄「敗戦後のヨコハマ--パンパンガールという風俗」、『公評』第42巻第5号、公評社、2005年、 58-65頁、 。
- ↑ a b c 井上et al 2004, p. 296.
- ↑ 『20世紀のことばの年表』 加藤廸男、東京堂出版、2001年11月5日、100頁。ISBN 4-490-10567-3。
- ↑ a b c 世界大百事典 2007, p. 572.
- ↑ 鈴木哲 『暮らしの年表流行語100年』 講談社、2011年、83頁。
- ↑ a b c d 木村et小出 2000, p. 1042.
- ↑ 『研究社新英和大辞典』 研究社、2002年、第6版、1914頁。ISBN 4-7674-1026-6。
- ↑ 『日本語インドネシア語大辞典』 末永晃(編著)、大学書林、997頁。ISBN 4-475-00148-X。
- ↑ a b c 日本大百科全書 1988, p. 348.
- ↑ 米川 2006, p. 522.
- ↑ a b 米川 2003, p. 522.
- ↑ a b 『現代用語の基礎知識 1949年版』 時局月報社、1949年。 。
- ↑ ここでのパンは麵麭
- ↑ 日本人専門の売春婦も存在した。和パンと呼ぶことがある
- ↑ 『新千歳市史 通史編』下巻、千歳市史編さん委員会、千歳市、2019年3月28日、1003頁。
- ↑ 田中雅一 「戦後日本の米兵と日本人売春婦 : もうひとつのグローバリゼーション」『アジア太平洋地域におけるグローバリゼイション、ローカリゼイションと日本文化 Volume 2』 国際日本文化研究センター〈Singapore Symposium: International Symposium in Singapore 2004〉、2010年3月25日、27-35頁。 。
- ↑ 茶園敏美「GIとつきあうおんなたち : 占領期日本における「オンリー・ワン」」、『コンタクト・ゾーン』第6巻第2013号、京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野、2014年3月31日、 128-162頁、 、 。
- ↑ a b ジョン・ダワー 『増補版 敗北を抱きしめて』上、三浦陽一, 高杉忠明訳、岩波書店、2004年1月30日、135-158頁。ISBN 4000244205。
- ↑ うらべ・まこと 『流行の裏窓 : もんぺからマグネツトラインまで』 鱒書房、1956年、25頁。 。
- ↑ 『性風俗史年表 昭和[戦後]編 1945-1989』 下川耿史、河出書房新社、2007年7月13日、61頁。ISBN 978-4-309-22466-4。
- ↑ a b 田村 1982, p. 20.
- ↑ 恵泉女学園大学 2007, p. 22-23.
参考文献[編集]
- 神崎清 『決定版・神崎レポート 売春』 1974年12月 現代史出版会
- 西田稔『基地の女 特殊女性の実態』(河出書房、1953年)
- 水野浩編『日本の貞操』1953年
- 井上章一、関西性欲研究会 『性の用語集』 講談社〈講談社現代新書〉、2004年12月18日、126頁。ISBN 978-4-06-149762-7。
- 田村茂 『わがカメラの戦後史:田村茂写真集』 新日本出版社、1982年2月15日、第2刷。NDL:82016264。
- 『占領と性 : 政策・実態・表象』 恵泉女学園大学平和文化研究所、インパクト出版会、2007年。NDL:21323356 。ISBN 9784755401756。
- 『日本俗語大辞典』 米川明彦、東京堂出版、2003年11月10日。ISBN 4-490-10638-6。
- 『日本俗語大辞典』 米川明彦、東京堂出版、2006年、第3版、522頁。
- 『日本大百科全書』19、小学館、1988年1月1日。ISBN 4-09-526019-X。
- 『世界大百事典』4、平凡社、2007年9月1日。
- 『隠語大辞典』 木村義之, 小出美河子、晧星社、2000年4月15日。ISBN 4-7744-0285-0。