パリ包囲戦 (Vikings)

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パリ包囲戦
戦争: ラグナルのフランス遠征
年月日: 804年
場所: パリフランス
結果: ヴァイキングの辛勝
ロロの公爵就任、ノルマンディー公国の成立。
交戦勢力
ノース人連合軍 西フランク王国
指揮官
ラグナル・ロズブローク
フロキ
ラゲルサ
エレンドゥール
シーグフリッド
他2名のノース人領主
シャルル2世
オド伯
ローランド伯
戦力
軍船100隻以上
戦士2,000-2,500人
兵士700-800人
損害
1000人以上
シーグフリッドは捕虜に。
不明(甚大)

ラグナルのパリ包囲戦( 英 : Siege of Paris)とは、カナダの歴史ドラマヴァイキング 〜海の覇者たち〜における架空の戦闘・包囲戦である。ラグナル率いるヴァイキングとオド伯・フランク皇帝シャルル2世率いる西フランク王国軍がパリにて衝突したことで発生した。一時的に西フランク王国側が優勢となったものの、ラグナルの策略により土壇場でヴァイキング側が勝利に終わり、パリ城内を略奪して多くの金銀財宝を戦利品としてカテガットにもち帰った。
尚、この戦闘は、ドラマではシーズン3・第8-10話で描かれている。

(尚、史実においても、ラグナル・ロズブローク率いるヴァイキングによって845年にパリは包囲されているが、その内容・出来事とは多くの点で異なるため、この項で別記することとする。)

それまでの経緯[編集]

 デンマーク・カテガットの領主ラグナル・ロズブロークは、それまでのイングランドでの活躍からヴァイキング中にその名が知れ渡っていた。ラグナルは、かつてリンデスファーン修道院を襲撃した際に奴隷としてカテガットに連れてきた元修道員アゼルスタンから、西フランク王国にイングランドのどの都市よりも富んでいるパリという都市が存在することを聞く。その都市は石の壁により守られており、攻めるのは難しいものの、市内にはこれまでの都市とは比べものにならないほどの金銀財宝が眠っていると知らされたのだった。

 そんなラグナルは、次の襲撃場所をパリに定め、翌年の遠征に備えて軍備を整え始めてた。そんなラグナルの噂を聞きつけたヴァイキングの領主たちは次々とラグナルの元に集結し、最終的にラグナルは、6人のヴァイキング領主とともにフランス・パリに向けて出陣した。

 ラグナル率いるヴァイキング軍団は、多言語を話す謎のさすらい人センリックの案内のもとでセーヌ川の河口地点で上陸し、そのまま側を遡上しパリ郊外に着陣、そこで陣を張った。陣中でラグナルは、今回の攻城戦の指揮を彼の古き友フロキに託すことを決断した。この頃ラグナルとフロキは意見の相違から信頼関係が崩れかかっていたため、他の領主からは反発が相次いだが、結局指揮はフロキが取ることに決まった。自分がラグナルに信頼されていることを知ったフロキは張り切って城攻めの作戦を立案した。そして、自身の大工としての腕前を大いに振る舞い、パリの城壁を越えるほどの巨大な攻城塔を制作し、セーヌ川沿いに聳え立つ城壁を塔で乗り越え城内に攻め込もうと決断した。このとき、ヴァイキングには100隻を越えるヴァイキング船、いくつもの攻城塔、そして2,000人を越える戦士が集結していた。対する西フランク側は、700-800人ほどの守備隊しかおらず、パリ市民と皇帝は共に神に祈りを捧げていた。

戦闘経過[編集]

第一次攻撃[編集]

 翌日、ヴァイキングはパリ包囲を開始した。ラグナル・フロキ率いるヴァイキング艦隊はフロキの作った攻城塔と共にセーヌ川を進み、パリの城壁の外側に進軍しつつあった。パリ市内では、オド伯・ローランド伯が城壁・橋の守りを固め、ヴァイキングを待ち構えていた。(ここの橋とは、木造門や狭間などで防備された軍用橋である。)

 その頃、ラゲルサ・シーグフリッド首長・カラフ首長率いるヴァイキング別働隊約400人はセーヌ川岸からパリ市内に唯一架かる橋の前に現れた。橋を守るフランク軍はクロスボウでヴァイキングに射かけ、狭間で身をかがめながらヴァイキング軍団の前進を阻んでいた。そうこうしているうちに、シーグフリッド首長の戦士たちは盾などで防備された破城槌を橋の手前まで移動させた。それを確認したラゲルサは、自身の配下の戦士たちに盾で全面を守らせ弓兵たちに援護をさせながら破城槌を橋の門まで前進させた。この間に、フランク兵たちは多くのヴァイキング戦士を射抜き、多くのヴァイキングが戦死した。その頃、ラグナルらの艦隊はパリ城壁に辿り着き、ついに本格的な戦闘が始まろうとしていた。
ドラマでは、セーヌ川の中洲に位置するパリ城から伸びる橋は一本しか存在しない描写になっていた。つまり、ラゲルサらが攻めたその橋が軍事上の要となっていたわけである
(但し、上の図の通り、史実では2本存在していた。)