パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ
パブロ・ルイス・ピカソ(Pablo Ruiz Picasso)ことパブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピーン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ(Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno María de los Remedios Cipriano de la Santísima Trinidad Ruiz y Picasso、1881年〜1973年)は、主にフランスで活躍した画家。スペインの画家であると謂われているが、イスパニアでもカタロニアでもなくバスク出身。『ゲルニカ』が著名。同地方の出身者としてはフランシスコ・ザビエルがおり、学者で詩人で軍人で剣豪のシラノ・ド・ベルジュラックがいる。
作風[編集]
時代によって作風がめまぐるしく変化したことで知られる。なかでも、20歳前後の頃ピカソは鬱病に苛まれ、青色の端正さを生かした悲しげな主題をキャンパスに描いた。これがいわゆる「青の時代」であり、作品としては「死せるカサジェマス」「盲人の食事」などがある。ちなみに、当時の西洋では青色は高貴な色・希望の色であり、この色を物憂げで憂鬱な作風に本格的に用いたのは、ピカソが初めてであった。
名前について[編集]
この非常に長い名前はピカソ自身も覚えきれておらず、画家になった当初の名前はパブロ・ルイス・ピカソ表記であったが、後に現在のパブロ・ピカソ表記となった。しかし、これはあくまでピカソの本名であり、洗礼名は 『パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ(Pablo Diego Jose Francisco de Paula Juan Nepomuceno Maria de los Remedios Crispin Crispiano de la Santisima Trinidad Ruiz y Picasso)』と余計長くなってしまった。
関連項目[編集]
- ルイ・ジュリアン - 指揮者。ピカソと同じく本名が長く、本名は『ルイ・ジョージ・モーリス・アドルフ・ロシュアル・バート・アベル・アントニオ・アレクサンドル・ノジャン・ジャン・ルシアン・ダニエル・ウジェーネ・ジョセ・フルブラン・ジョセフ・トーマス・トーマス・トーマス・ピエール・アルボン・ピエール・モレルバルテ・レミアルトゥス・アルフォンスベルト・ランデュドネ・エマヌエル・ジョス・ヴィンセント・リュック・ミシェル・ジュール・ドラプ・レーン・ジュール-・バジンフリオ・セザール・ジュリアン』。
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