ニコライ・ゲステスコ

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1892年頃撮影

ニコライ・エフゲニエヴィチ・ゲステスコНиколай Евгеньевич Гестеско1870年11月24日12月7日 - 1928年1月3日)は、ロシア帝国の軍人。最終階級は大尉[1]

生涯[編集]

1870年11月24日(12月7日とも)に、サンクトペテルブルクで生まれる。

1889年に海軍に入隊し、翌年に士官候補生に昇進する。

1893年から将校になる1901年まで巡洋艦エディンバラ公駆逐艦コトリン艦隊装甲艦皇帝アレクサンドル2世などに勤務する。

日露戦争に従軍し、一等巡洋艦ボガティルの上級砲兵将校として指揮をとる。1916年12月6日に大尉に昇進する。

ロシア内戦の際は、ユデーニチの北西軍に参加し、参謀長を務める[2]

終結後はタリンに住み、1928年1月3日に喉がんで死去する。

死から3日後にアレクサンドル・ネフスキー墓地に埋葬される。

親族[編集]

妻のエカテリーナ(1878年〜1952年)、兄は1917年に水兵によって殺害される。

脚注[編集]

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  1. Гестеско Николай Евгеньевич — Russian Estonia”. russianestonia.eu. 2023年1月9日確認。
  2. Гестеско Николай Евгеньевич”. cadethistory.ru. 2023年1月9日確認。