ナタリヤ・シャホフスカヤ

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ナタリヤ・ニコラエヴィチ・シャホフスカヤрусский: Наталия Николаевна Шаховская, ラテン文字転写: Natalia Nikolaevna Shakhovskaya, 1935年9月27日 - 2017年5月20日)は、ソビエト連邦出身のチェロ奏者。[1][2]

モスクワ出身。父ニコライはフィンランド戦役で戦死し、中央音楽学校でピアノを学び始めた5歳の時に母アンナも死別したため、祖母に育てられた[3]。程なく第二次世界大戦の影響で勉学を中断してボリシャヤ・ムルタに疎開している。戦後、モスクワに戻り、イライダ・ヴァシリエヴァの許でピアノのレッスンを再開したが、ヴァリシエヴァの紹介で面会したエレナ・グネーシナからチェロへの転向を提案され[4]、1947年からグネーシン音楽学校に入学してダヴィッド・リュブキンにチェロを師事した。1951年にリュブキンが死去した後はアレクサンドル・フェドルチェンコに師事。[5]1954年に音楽学校を卒業後はモスクワ音楽院に進学し、セミョン・コゾルポフにチェロを学んだ[6]。1959年には同音楽院の大学院に進学し、1961年までムスティスラフ・ロストロポヴィチの許で研鑽を積んだ[7]。また、大学院在学中からイッポリトフ=イワノフ音楽大学で教鞭を執る。1962年にはチャイコフスキー国際音楽コンクールのチェロ部門で優勝してからは、モスクワ音楽院でチェロを講じる。2000年から2016年までは、マドリードのソフィア王妃音楽院のチェロ科教授も務めた。[8]

モスクワにて死去。

脚注[編集]