デ・ジ・キャラットにょ

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デ・ジ・キャラットにょとは、2003年4月-2004年3月までテレビ東京系列にて朝枠にて放送していたギャグアニメ。

概要[編集]

99年のアニメ化の成功を受け、02年に低年齢層に向けてぱにょぱにょデ・ジ・キャラットが制作されていたが、深夜枠であったため、子供層の視聴は困難であった。そこで当時のブロッコリーの社長が『ハローキティの様な幅広い世代にも受けるアニメを』の熱意の元、製作されたのが、このデ・ジ・キャラットにょである。

商業面[編集]

放送開始後、春頃は視聴率はそこそこ良かったが、その後は低下の一途を辿り、玩具売上には苦戦を強いられた。まず、昭和でよく見かけたゴムとびを平成に流行らせようという当時のタカラとは裏腹に、子供の心を掴む商品では無かったこと、子供向きと言いつつも、作中にでじこが使用していたガラケーのおもちゃなどは幼児には、使用するには難しい段階であったことや、手抜き玩具も発売されていたことから、まずまずの売上に留まり、これにより、ブロッコリーは3億円もの債務超過に陥る事態にまで発展した。当時の株主総会により株主達から『玩具関連の売上とアニメ視聴率が他のアニメ作品より思わしくない』と指摘された当時は『まだ1クール目ですし、これから売上も視聴率も上がるので大丈夫ですよ』と発言していたが、2003年冬頃に、売上不振や視聴率低下により、上記で説明した債務超過により社長のクビが決定した。

何故ここまで失敗したのか[編集]

デ・ジ・キャラットにょは、子供向けアニメとして制作されていたが、何故失敗したのかについては当時の日本の状況にあったことや広告収入方式による弊害だとアニメ評論家は述べている。

1.『オタク』という風当たりが強い時代であったこと。

今でこそラブライブシリーズが代表する様に『推し活』が一般的であるが、その用語が出てきたのが2010年代後半であり、2003年当時はまだその概念がなく、オタク=特別扱い という認識であり、そこまでメジャーではなかったことや、今より不良やヤンキーなどがもてはやされた時代であったこと、90年代に起きたオタクによる犯罪等により、一般層にはオタク達の風当たりが強かったことが挙げられる[1]

2.どういった玩具が子供達に人気だったのかのリサーチ不足

当時の社長は子供向けアニメのリサーチを行っておらず、「こういう物が人気だろう」という認識で玩具展開を行っていたため、債務超過に陥ったという指摘がなされている。

3.アニメ版でのテコ入れと打ち切り

「にょ」では幼児層も取り入れようとストーリー的にも分かりやすい様に試みたが、作中で下品な言葉やキャラが出てきたりと親にとっては見せたくないアニメに仕上がってしまっていた。03年春には視聴率は4%とそこそこそ取れていたが、夏頃になると、3%と下落。上記でも説明した通り、親が同作品に対して不信感を持ち余り子供には見せない様、他のアニメ作品に移っていったことが要因とされている[2]。翌年の冬には裏番組に対抗する形で『プリンセススクール』というでじこたちが通う学校の設定で『ぱにょぱにょ』にも登場したキャラが作中に出るなどのテコ入れを図ったが、視聴率低下で2%未満になったことと、玩具の売上不振のダブルパンチにより、打ち切りという形で本作は終了することになった。

従来の広告収入方式の視聴率重視によるアニメ作品の打ち切りは、01年放送の朝アニメ『Cosmic Baton Girl コメットさん☆』・同年放送した朝アニメ『明日のナージャ』と本作の3作品となる。この2作品も当初の予定よりも放送期間を短縮した形で打ち切りとなった。現在ほど製作委員会方式がまだ普及していなかったことも要因となっていた。

総評[編集]

デジキャラットにょは、商業面にも苦戦し、更には大半の玩具がワゴン行きになったりや、店側とタカラは損失を被ることになったり、ブロッコリーに債務超過に陥ったりなど、中々恵まれなかった作品でもある。しかし、近年では配信により、そのアニメの良さが再確認出来ている状況にあり、少し世の中に認められる作品となった。

  1. 不良がもてはやされた頃は中・高学校での校内の荒れ具合が特に酷く、学級崩壊寸前まで行っていた学校が多数あり、社会問題にまで発展していた時代でもある。
  2. 同じ時間帯で放送されていた裏番組『アストロボーイ・鉄腕アトム(2003年度)』に流れ最高視聴率は11.2%と好調だったことや玩具売上も好調だったこと、更には同年の土曜朝に放送されていた製作委員会方式の『ぴちぴちピッチ』(2003年度-04年度[平均視聴率5.3&・最高視聴率6.8%])、朝枠からゴールデン枠に移動した『ミルモでポン』シリーズ(2002年-05年秋[朝枠時代の平均視聴率が6.8・最高視聴率が9.4%])にも流れ、デジキャラットにょは苦戦を強いられることになったとも指摘されている。