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スージー・ポーマン
スージー・ポーマン[1](Suzy Paumen[2]、1963年頃 - )は、1960年代にタレント活動していたアメリカの[3]少女。日本国内で外人モデルとして活動[1]。
山崎製パンのシンボルキャラクター「スージーちゃんマーク」(食パンを食べる白人の幼女)のモデルである。
経歴・人物[編集]
1963年頃、生まれる。両親と姉の4人家族[4]。
1966年頃、東京都[5]世田谷区[4]在住。これについて、彼女は大使館関係者の娘で仕事の都合で日本にいたとする説がある。『伊集院光 日曜日の秘密基地』 にリスナーから寄せられた情報によると、代官山の幼稚園に通っており[注釈 1]、当時4歳だったという[6]。本稿では山崎製パンの公式見解に従い、1966年現在3歳という説を採る[7]。
1966年6月よりシンボルキャラクターとしてスージーちゃんマークを使用開始[8]。赤い円形の背景にスージーちゃんを配したあのデザインは、ピーターズ・アドの福島烈である。余談であるが、菓子パンがひとつ売れるたびに何十銭かのデザイン料が入り、福島の懐は潤った。山崎製パンがフィルム包装の技術を導入し工場型ベーカリーで成功していく時流に乗ったのだ[1]。
この広告の撮影の際、本当は食パンを食べるフリをすればよかったのに彼女は本当に食べてしまい、撮影が終了したときには2斤の食パンが消えていた[6]。姉と二人でママレンジ[注釈 2]のCMに出たこともある[6]。
1978年、ミネソタ州に帰国[6]。その後、女優として活動したという説がある。2021年現在、山崎製パンと交流はないという[5]。こりゃ肖像の使用料も払ってないな
2024年現在、スージーちゃんマークは配送トラックなどに描かれている。余談であるが、同社の配送トラックは理想的なデザインの例として美術系の学校で槍玉に言及されることがある[6]。理想的なデザインだからこそ数十年にわたって替わることなく使われ続けているのだ。
その他[編集]
- 味噌汁が苦手で、幼稚園ではノーサンキューと断わっていた[6]。
- 名前について、スージー・ボーマンまたはスージー・ボウマン(Suzy Bowman)だという説がある。だとすると年齢的に矛盾しない人物がいる。カナダ生まれ・ドイツ育ちのSuzy Bowmanは1988年に来日し、東京を拠点にspiritual healerとして活動している[2]。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ↑ 以下の位置に戻る: a b c 福田千津子 (2014年8月6日). “キャラクタービジネスの知られざる歴史 ―ミッキーからペコちゃんまで―(page=3)”. talked.jp. 株式会社スピーディ. 2025年2月20日確認。
- ↑ 以下の位置に戻る: a b McGee 2021.
- ↑ 「知っているとモテるかも!?菓子パンの雑学」、『カミオン』第34巻第10号、芸文社、2017年10月1日、 117頁。
- ↑ 以下の位置に戻る: a b 武道亜輝 (2023年8月28日). “「スージーちゃん」と「迅くん」と「雪ちゃん」”. 今日もどこかでズババババ~ン!!. 2025年2月20日確認。
- ↑ 以下の位置に戻る: a b 金井 2021.
- ↑ 以下の位置に戻る: a b c d e f 伊集院光 日曜日の秘密基地 2014.
- ↑ “ヤマザキのトラックに描かれている女の子は実在の人物ですか?”. 山崎製パン株式会社. 2013年5月1日確認。
- ↑ “沿革”. 山崎製パン株式会社. 2024年6月15日確認。
参考文献[編集]
- “No.00297「山崎パンのスージーちゃん」”. tbs.co.jp. 2014年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年6月15日確認。
- 金井かおる (2021年2月7日). “ヤマザキのパン配送トラック、車体に描かれている「女の子」は誰?…「スージーちゃん、実在の人物です」”. daily.co.jp. 2024年6月15日確認。
- Oona McGee (2021年2月9日). “Japan searches for the Yamazaki pan girl, who lived in Tokyo when she was three years old”. soranews24.com. 2021年2月11日確認。