ジョン・デンマン
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ジョン・アンソニー・デンマン(John Anthony Denman[1], 1933年7月23日 - 2001年11月6日[2])は、イギリスのクラリネット奏者。幼いクラリネット学習者向けのクラリネット「キンダー・クラリ」の考案者でもある[3]。
ロンドン出身[4]。8才の頃からヘンリー・ラザルス門下のジョージ・アンダーソンにクラリネットの個人指導を受ける[5]。15才でライフガーズの軍楽隊に入隊するとともに、王立陸軍音楽学校に入り、ジョージ・ガーサイドに師事[6]。陸軍を除隊後は、コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団、ロンドン交響楽団などで演奏し、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のアメリカ・ツアーにも参加した[7]。またロンドン在住時にはトリニティ音楽大学でも後進の指導に当たり、ルイ・シュポアのクラリネット協奏曲第2番を再発見している[8]。
1976年にアメリカに移住し、アリゾナ大学音楽学部に所属するとともに、ツーソン交響楽団の主席クラリネット奏者を務めた。アリゾナ大学には1984年まで所属し、1982年にピアノ奏者のパウラ・ファンと結婚している。ツーソン交響楽団には1999年まで留まり、ポップス・コンサートのディレクターも務めた。またアリゾナ大学ではジャズ研究家のジェフリー・ハスケルとも知り合い、ハスケルのジャズベリー・ジャムの結成メンバーに名を連ねたり、バディ・デフランコと共演を重ねたりして、ジャズ・ミュージシャンとしても活動の幅を広げていた。[9]
脚注[編集]
- ↑ 『International Who's Who in Music and Musician's Directory (in the Classical and Light Classical Fields ), 2000/2001』 David M. Cummings、Routledge、2000年、155頁。ISBN 9780948875533。
- ↑ “Prominent musician Denman dies”. Green Valley News and Sun. (2001年11月9日). オリジナルの2014年7月2日時点によるアーカイブ。 2014年7月2日閲覧。
- ↑ “Kinder Klari - Eb Clarinet designed by John Denman for Children”. 2014年7月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年7月2日確認。
- ↑ “John Denman, clarinet”. 2021年3月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月7日確認。
- ↑ アーカイブ 2021年3月23日 - ウェイバックマシン
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- ↑ アーカイブ 2021年3月23日 - ウェイバックマシン
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- ↑ アーカイブ 2021年3月23日 - ウェイバックマシン