カルタ・パビジョン

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カルタ・パビジョンは、かってメキシコに存在した新興団体の一つ。後になってスペル・リブレスと同等だと判明している。

概要[編集]

1983年3月下旬に存在が表面化し話題となる。当時の代表がボクシング界のプロモーターであるハイメ・デ・アロだった。

当時はスペル・リブレスという新興団体があり、ミル・マスカラスの去就が注目されていた時期で、スペル・リブレスからカルタ・パビジョンに乗り換えたと噂されていた。

5月1日に、カルタ・パビジョンはパラシオ・デ・ロス・デポルテスで旗揚げする。なおマスカラスは参戦せず、同団体はスペル・リブレスと同一だとみなされた。同協会はメキシコ体育協会が母体である。

参加選手[編集]

ティニエブラス、セサール・バレンティーノ、TNT、ミスター・テンペスト、エル・プーマ、チャマコ・ラモス、スペル・マキナ、アンヘル・ブランコ

観客動員[編集]

各大会で1万2千~1万5千人規模の集客をして健闘している。もっとも数字はスペル・リブレスのものだが。

タイトル戦[編集]

1983年8月21日AWA世界Jrヘビー級王座

○セサール・バレンティーノvs●タリー・ブランチャード

(スペル・リブレスのもの)

参考文献[編集]

  • 『プロレス YEAR'S BOOK 1984』、1984年2月1日