カジミエシュ・コルト

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カジミエシュ・コルト(Kazimierz Kord, 1930年[1]11月18日[2] - 2021年4月29日[3])は、ポーランド指揮者[4]

シレジア地方のポゴジェの出身[5]。少年期にクラクフ近郊のモギワに移住し、当地のシトー会の教会のオルガン奏者と知り合って音楽への道を志すようになった。クラクフでルトヴィク・ステファンスキにピアノの手ほどきを受け、カトヴィツェ中等音楽学校のヴワディスワワ・マルキェヴィツォヴナの許でピアノを学んだ。1949年から1955年まで中等音楽学校を卒業後、レニングラード音楽院に留学し、ヴラディーミル・ニルセンのクラスでピアノの腕を磨いた。帰国後、1956年から1960年までクラクフ音楽院に通い、アルトゥル・マラフスキとヴィトルド・クルゼミエンスキに指揮法を学んだ。1960年から1962年までワルシャワ大劇場の合唱指揮者、1962 年から1969年までクラクフ市立劇場の芸術監督、1969年から1973年までカトヴィツェのポーランド国立放送交響楽団の芸術監督を務める。1972年にはピョートル・チャイコフスキーの《スペードの女王》をニューヨークのメトロポリタン歌劇場で原語により上演して成功を収め、世界各地の歌劇場から客演の依頼が舞い込むようになった。1974年にはカレル・アンチェル没後のトロント交響楽団のヨーロッパ演奏旅行の指揮者を務めた。1977年から2001年までワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を歴任[6]。1980年から1986年までバーデン=バーデンの南西ドイツ放送交響楽団の首席指揮者を兼任。2005年から翌年までポーランド国立歌劇場の音楽監督を務めた。[7]

バーデン=バーデンにて没。[8]

脚注[編集]

  1. アーカイブ 2022年8月2日 - ウェイバックマシン
  2. Kazimierz Kord - Życie i twórczość | Artysta | Culture.pl”. 2015年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年2月10日確認。
  3. “„Wielka strata dla kultury”. Ostatnia droga Kazimierza Korda”. Polskie Radio. (2021年6月21日). オリジナル2022年8月3日時点によるアーカイブ。. http://archive.is/42qtO 2022年8月3日閲覧。 
  4. Kazimierz Kord : Teatr Wielki Opera Narodowa”. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月3日確認。
  5. カジミエシュ・コルト - CDJournal”. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月3日確認。
  6. Diamentowa Batuta. Polskie Radio i mistrzowie dyrygentury”. 2022年8月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月3日確認。
  7. アーカイブ 2021年5月1日 - ウェイバックマシン
  8. Koncerty poświęcone pamięci Maestro Kazimierza Korda”. 2022年8月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月2日確認。