アルル王国
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アルル王国(ドイツ語: Königreich Arelat、フランス語: Royaume d’Arles)とは、ユーラブルグント王国の王ルドルフ2世がキスユラブルグント王国(プロヴァンス)の王位を継承し、ブルグントを統一したことによって成立した王国。かつてのブルグント王国と対比して第二次ブルグント王国とも呼ばれる。
歴史[編集]
成立[編集]
ユーラブルグント王のルドルフ2世は自国の領土を南に拡大しようとイタリアに遠征し、921年にイタリア王位を得る。しかしブルグント系のルドルフの即位に反対する貴族も多く[1]、最終的にイタリア支配は失敗する。
933年、彼はイタリア王位をプロヴァンスの領主ユーグに譲り渡す。この時にユーグが代償としてルドルフに割譲したのがプロヴァンスからアルルに至る低ブルグントと呼ばれる領域であった[2]。ここに855年以来分割されていたブルグントが再統一された。
衰退・神聖ローマ帝国への併合[編集]
937年に父ルドルフの後を継いだコンラート1世の治世は平和が続くものの、その子ルドルフ3世の時代に神聖ローマ帝国からの圧力が増え、ルドルフは皇帝ハインリヒ2世を自身の後継者とする。1032年ルドルフは子を残さず死に、王国はハインリヒの後を継いだコンラート2世に併合され、アルル王国は独立を失う。
滅亡[編集]
1365年に即位したカール4世は、アルルを領有した最後のアルル王だった。当時の神聖ローマ帝国の領有するかつてのブルグントはサヴォイア家の所領およびその周辺にすぎなかった。1378年、かれはサヴォイア家の所領を除くブルグントをドーフィネ伯シャルルに割譲する。こうして領域としてのブルグント(=アルル)は完全に消滅するが、称号としてのアルル王が消えるのは更に後の1806年の事である。