アルキメデス
アルキメデスは、古代ギリシャの数学者・天文学者・工学者。
アルキメデスの原理[編集]
液体中にある物体は、その物体が排除した体積の液体の重量のに等しい浮力を受ける。アルキメデスが王から、「金でできた王冠に銀が混合されている可能性があるので調べて欲しい」と頼まれ、調査方法を考えていたが答えが出ず、ある日、入浴のために浴槽に入り、浴槽から湯があふれたことから調査方法がひらめき、「わかった、わかった」と叫んで裸のまま外に飛び出したのは有名。
工学者[編集]
最期の言葉[編集]
ポエニ戦争のさなかでも幾何学の問題を解くことに夢中になり、侵入してきた敵のローマ兵に対して「私の円を踏むな!」と叫んで殺された。敵の将軍がアルキメデスの死を悼んだという、このエピソードはつとに有名である。学問の世界に生き、独自の思考にふけるあまり周囲が見えなくなってしまった、学者らしい最期といえるだろう。しかし、この言葉の意味をもう少し(妄想的に)深掘りしてみよう。
アルキメデスとほぼ同時代を生きた人物に、かの哲学者プラトンがいる[1]。プラトンは、理想的な世界に「イデア」という抽象的な概念が存在し、現実はその不完全な像である、という世界観を唱えた。現代のわれわれが、数学の作図問題を考えるときの発想もこれに近い。紙に印刷された「円」は、現実には完全な「円」ではないが、抽象的な「円」を便宜的に表したものにすぎないから問題ない、と考えて問題を取り組む。
しかし、プラトンの発想が、同時代の数学者に受け入れられていたかは疑わしい。
プラトンはあくまで哲学者として数学を語ったのであって、その言葉が当時の数学者たちの心情をどれほど正確に反映していたかは疑わしい。たとえば数学史家の斎藤憲は、プラトンが「永遠的な実在、真理を重視するあまり、数学者の活動を正当に評価できなかった」可能性を指摘している。 — 森田真生『数学する身体』p.53
では、プラトンと違ってアカデミーの中心にいない、いわば「在野」の数学者たちはどのように考えていたのか。
ここでネッツ[2]は、一つ重大な指摘をしている。古代ギリシア数学における図は、抽象的な数学的対象を表現するための手段ではなく、描かれた図そのものが、古代の数学者の研究の対象だったのではないか、というのである。 — 森田真生『数学する身体』p.52
現代のわれわれには想像しがたい感覚だが、古代ギリシアの数学者にとっては「まさに目の前に描かれている図」の秘密を解き明かすことが重要であった。
......ここからは筆者の「妄想」だが、そう考えるとアルキメデスの台詞にもまた違った意味合いが感じられる。アルキメデスにとっては「まさに目の前にある図」について考えることが重大事であり、別の場所に行って「同じ」図を書いてまた考え直せばいいや、とは思えなかったのではないか。単に、思考にふけるあまり周囲が見えなくなったというだけでなく、「目の前にあるこの図」でなければいけない、と感じていたのではないか。――「私の円を踏むな!」