よみもの:資本主義、社会主義、民主主義
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シュンペーターが予言した、資本主義が最終的に社会主義に至るというものは、どのようなことか本当のところは知りえないが、企業が個別に利益を追求していくことは、社会主義とは言えない。需要予測や在庫調整、供給能力調整などは企業個別に行うため、これを社会主義とは言えないと考える。
ただ、鎖国から開国した時点の発展途上の日本の場合、近代資本主義導入を急ぐために、国家予算を資本金とした官僚主導の「富岡製糸場」などの事業が起こることはもしかするとやむを得ないかもしれない。それは、経済の発展の差が大きいための措置とも考えられる。
また、各国のNGO活動や、NPOなどの活動は人間が個人として社会に積極的に関わって行くという理想があり、それはその社会の経済的な生産力の余力の現れでもあると考えられる。そして、また現在において企業の社会的責任と言われていたものが、IR活動となり、それをビジネスで解決しようというソーシャルビジネスと進化し、さらに緊急支援としての「NGO活動」と「顧客の経済状況に応じた価格」などに分離されつつある。コンピュータソフトウェア業界のアカデミックエディションが無料なのはその一例なのかもしれない。
また、この学生版のソフトウェアが無料ということに対しての批判は、「シェア獲得を狙い、利益追求で暴利を貪っている」などがあるが、これも、アダムスミスの「利己的な利益の追求は社会を動かすエネルギー」となるということである。この「シェア獲得を狙った」結果、学生は無料でソフトウェアが使えるという重要な一面を見逃してはならない。