よみもの:「障害に甘えるな」とは
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障害に甘えるなとは、健常者から障害者に向けられる理不尽な言葉の一種である。
概要[編集]
消極的な障礙者(障害者と呼ばれる。「障害者」とか、そのあたりはややこしい話が山のようにある}が、たとえば聴覚情報処理の障害などにより、「うるさいオフィスでの電話対応が難しい」と発言したりすると、このような言葉の餌食になりやすい。
この場合、健常者の言い分としては、すぐに不満を言わずに、可能な限り“見える化された”努力をして、それなりのしっかりとした成果を残す事を要求してくることで、SNSなどでしばし論争の種となる。
確かに障礙があると無理を押しつける奴は多いのだが、会社組織となると営利企業であり法人であるから、それなりに利利潤を出さなくては出資者(株主あるいは社員という)に対して経営者は申し訳が立たない。とはいえ、「健常者にも納得できて、出資者に対して言い訳ができるような具体的な努力」となると、ホンネ(判断原則)とタテマエ(行動原則)の間のギャップに出くわして途方に暮れる。対処法は障礙者に丸投げされる。
ある発達障害者はうっかりミスをなくすために、「いちいち誓いを立てていた」というが、これは意味のない努力である。
たぶん、こういった状況では、「復唱しろ」とか「指差し確認しろ」とか「忘れないうちにメモを取れ」とかいった努力は「フツー」にできるのだが、要求されているのは思うのだが、それは「『脳の機能によりできない』ことを克服する“あなた”なのである。
そういう事情があるので、ボンボン時計はありがたい。十五分(集中力は十五分以上なかなか続かない。覚醒剤でも服用していれば別かもしれないが、しょせん覚醒剤は「元気の前借り」でしかない)ごとに鳴ってくれてて、月初めには螺子を巻いて日付け・曜日・午前午後をあわせなければならないからだ。
窮地に陥った。
ただ、その点が健常者には理解できないようである。
よく、窮地に陥った発達障害者が「車いすの人に自分の足で走れというのか」と反論するが、そこは「窮地に陥っている」ので認知バイアスがかかっているため若干違うような気がする。“聴覚障害の作曲家”として知られる佐村河内守や、視覚障害者を自称していた松本智津夫(麻原彰晃)があるので、エクスキューズとしてブラック企業が採用幅を狭めているだけだ。
車いすの人は自力で走れないかもしれないが、企業はそんな事は求めていないのである。車いすの人は、自走しなくても仕事で利益が出せてしまうのである。しかし、発達障害者は仕事で利益を出すのが難しい。その点をもう少し分析したらどうなのか(「誰が?」という話にはなるのだが)と思うのである。
身体"障がい者"は雇用すると会社に報奨金が入って「雇用した」というので報奨金が入る。会社の仕事で成果を出しても、なぜか「障がい者」である発達障害者は、冷遇される。「成果を出せない」「仕事の邪魔をしている」とか評価されているかどうかは、ちゃんとエビデンスを出していただきたく思う。
エビデンスに関してはX(旧Twitter)のポストで多方面の発達障害者からの指摘であり、肝心のポストは流れてしまっているので、固定したエビデンスは出せない事を伝えておく。
成果を出せないのは事実だと思われるし(私も言われていたし)、実際に仕事の現場で発達障害者の叱責が多い事は肌で感じている。また仕事の邪魔をしているのも各種当事者のポストで見聞きされている事は伝えておく。つまり叱責でよくある「するべきことはしないで、やらなくていいことをして仕事を増やす」という事である。
おそらくプログラミングの現場と一般サービス業の現場では要求されることが違うので、見解の相違が現れると思われる。したがって今後は、いじったらあかんでに変更する事とする。
カミングアウト問題[編集]
発達障礙者にありがちなのは、自分が「発達障害がある」とカミングアウトすること(クローゼットから出ること)自体が、“甘え”と取られてしまう問題がある。
つまり、ここでは「発達障害があるから手心を加えて」「多少のミスはおまけして」とおねだりしているように受けとめられることである。
「ミスはミス」なのだからどうしようもない。そうではなく、「発達障害なので失礼な発言をしてしまうけど」という話が別にある。「予定調和」みたいな、なぁなぁで済まそうという意欲満々な奴に責任を折っかぶされることに対する防御法の意味で、「空気をぶっ壊す」とか「冷や水をぶっかける」意味で発言しているのである。何故かというと、当人には「何が失礼なのか判別不能」だからである。これが、発達障害の困ったところである。
健常者は見えない地雷を踏んづける。まともなユーザさんなら巻添えを喰らっても本望だが、健常者に地雷原に追い立てられたあげく責任をおっ被されるのは厭だ。