お紺昇天
『お紺昇天』は、筒井康隆の初期の短編小説。
早川書房の月刊誌『SFマガジン』の昭和39年12月号で発表された。
あらすじ[編集]
人間のように思考して話せる自動車の「お紺」が、部品の劣化によりスクラップ工場に行く日の話。
その魅力[編集]
劇的なストーリーがあるわけでもないのに、不思議と心に残る作品である。
筒井康隆の行う「擬人化」は独特である。『虚航船団』のセルフ解説[1]でも述べているとおり、筒井は「物体を人間へと変化させる擬人化」ではなく、「物体そのままの状態で、人間と同じような愛憎を向ける擬人化」をしばしば行う。近頃はなんでも擬人化するのが当たり前の世界になってきているが、たとえば話題になった「温泉むすめ」というのは、あくまで温泉のイメージを抽出・付与して人間キャラをつくる擬人化であり、萌えの対象になっているのは「人の姿をしたもの」である。『刀剣乱舞』にしてもそうである。ある物体が、物体そのものに近い姿・機能のまま人のように愛でられるという感覚は、まだそれほど一般的ではない。[2]
本作は、ピクサー映画『カーズ』のように、人間がいない世界で車が活躍する話でもない。『カーズ』に登場するキャラクターはすべて「車」の姿をしているが、あれは言ってみれば、(人間のいない世界で)自動車が人間のような地位に立って振る舞っているお話である。人間社会の構成員を、そっくりそのまま車に置き換えた話といってもいい。[3]「人間の人生」を間接的に語るためのアイテムとして、「車」が描かれているのである。一方、『お紺昇天』に登場する「車」は、あくまで「人間が乗る道具」としての車――現実世界の延長としての車である。物体が物体そのままの機能で登場し、人間と区別されず愛憎の対象となる。[4]だからこそ、「お紺」は自分の内側に乗っているターター(主人公)とも話せるし、外側にいるエンジのトラックとも話せるという、独特の奇妙な世界観が生まれてくる。[5]
本作の魅力を語る上では「レトロフューチャー」というキーワードも欠かせないのではないか。冒頭で「トランジスタ秘書」や「反重力シャフト」が登場する近未来の世界であるにも関わらず、主人公の愛車には「ネイビー」や「ブルー」ではなく「お紺」という古めかしい名前がつけられている。本作は1964年に発表された小説だが、当時の感覚からしても「お紺」や「お豆」という名前は古めかしく[6]、意図的にチグハグ感を演出したネーミングであると捉えるべきだろう。令和の世に『お紺昇天』を読む人は、「過去の人たちが想像していた近未来(=レトロフューチャー)」という、多層的な時間感覚のズレ[7]を知らず知らずのうちに追体験する。それが、本作のえもいわれぬ郷愁感につながっているといえよう。
そもそも、筒井康隆の女性観は古くさい。1975年には「男性は女性を強姦してもいい場合がある」という趣旨のエッセイを発表[8]しており、世代・年代を考慮しても「流石にそれはちょっと……」と思えるほど、オヤジ的な価値観の持ち主である。[9]そんな古めかしい女性観を持っている筒井だが、時にはそれが『お紺昇天』のような美しい世界観へと昇華する場合もある。[10]いったい、筒井の心のなかにはどんな「女性像」があるのだろうか。時にはそれが眉をひそめるような俗悪的なエッセイとして現れ、時には本作のような優れた文学として現れる。その不思議な多面性には心惹かれるものがある。
補足[編集]
- ↑ 『虚航船団の逆襲』ISBN 4120013502
- ↑ 「文字」で伝える小説だからこそできる芸当ともいえる。「イラスト」をメインとした近年のオタクカルチャーのもとでは、「人間」の形にしないと扱いが難しい。
- ↑ 監督のブライアン・フィーは、車たちについて「彼らは、人々の代わりなんだ。(略)それは、僕たちの世界のメタファーなんだ。」と語っている。(インタビュー記事)
- ↑ 「お紺」はまるで、主人公の奥さんと対等な「女性」であるかのように語られており、「人間」と「車」という区別がそれほど感じられない。
- ↑ 『お紺昇天』がSF的な味わいであるのに対し、『カーズ』がSFというよりファンタジー的であるのは、こういった差異に由来するのであろう。SFには、現実世界を少しズラしたことで生まれる「奇妙さ」が必要である。「人間の世界」を「車の世界」へとそっくり全部置き換えてしまう『カーズ』には、ファンタジー的面白さはあっても、SF的面白さは生まれづらい。
- ↑ 1940年代に生まれた女性(1964年当時に10代~20代の女性)に多い名前は「紀子」「和子」「洋子」などである。(参考リンク)
- ↑ あるいは、(ロボット自動車の普及した)近未来の地点から(お紺のような名前の女性がいた)過去を懐かしんで振り返っている ―― とまとめる方が適切だろうか。いずれにしろ、本作には入り組んだ時間感覚のズレが組み込まれている。
- ↑ エッセイ「強姦してもいい場合」。『虚航船団の逆襲』に所収されている。
- ↑ 筒井はベティ・ブープが大好きであり、アニメ映画化された小説『パプリカ』の主人公にもベティ・ブープの影響が見て取れる。そんなところも古めかしい。
- ↑ 本作をあえて現代的なフェミニズム風に読解するなら、女性が男性の道具として仕えた上に、男性の都合で犠牲になる様子を美談として描いた俗悪な小説であり、徳冨蘆花の『不如帰』や森鴎外の『舞姫』の系譜に連なるような作品......ともいえるだろうが、そういう見方は悪い意味で現代的すぎるだろう。
類似のモチーフ[編集]
人間が全く操作しなくとも走行できる自動車は、フィクションにおいてもしばしば登場してきた。
『ナイトライダー』のナイト2000がよく知られている。他にも、以下のような作品に登場する。
- サリーはわが恋人 (1953) - アイザック・アシモフの作品
- ドラえもん のび太の海底鬼岩城 (1982-1983)
- トータル・リコール (1990)
- デモリションマン (1993)
- タイムコップ (1994)
- 過ぎ去りし日々の光(2000) - スティーヴン・バクスターとアーサー・C・クラークの共著
- シックス・デイ (2000)
- マイノリティ・リポート (2002)
- アイ,ロボット (2004)