三億円事件
三億円事件(さんおくえんじけん、英:The 300 million yen robbery)は、1968年12月10日に東京都府中市で起きた窃盗事件。未解決事件。
概要[編集]
1968年12月10日、東京芝浦電気が従業員4536人のボーナス2億9430万7500円を現金輸送車で運んでいたところ、白バイに乗った男が車を停車させた。そして、「巣鴨支店長宅が爆破されたという連絡を受けた。この車にも爆弾が仕掛けられているかもしれない」といって4人の銀行員は慌てておりる。事件の4日前に「巣鴨支店長宅を爆破する」という旨の脅迫状が届いていたこともあり、銀行員は素直におりた。そして、男は車体の下を調べるふりをして白煙をあげて「ダイナマイトを発見した」として逃げるように大声で叫ぶ。そして、白バイの男は車に乗り込んで走り去っていった。このとき、爆弾が本当にあったと信じていた銀行員たちはダイナマイトから自分たちを遠ざけるための行動だと勘違いして「勇敢な警官」だと思っていた。
捜査[編集]
多くの遺留品や目撃情報が寄せられて捜査は順調に進むかと思われていたが、遺留品の多くは大量生産された物であり、事件当日に雨が降ったこともあってあやふやな目撃情報しか集まらなかった。1975年12月10日に時効をむかえることとなる。
モンタージュ写真[編集]
事件から11日後の12月21日に、銀行員4人の証言を基に作成された顔写真が公開された。しかし、この写真の公開後、民間から集まる情報は写真についての情報が多くなった。
しかし、このモンタージュ写真は逮捕歴のある人物の顔にヘルメットをかぶせただけのものであった[1]。このことは時効後に『文芸春秋』や遺族が告発している。
少年S[編集]
立川の不良少年グループだった少年Sに捜査が入る。少年Sのグループは過去に発炎筒を使った今回の事件と似たような手口を使った事件を起こしていた。父親は白バイ隊員であった。しかし、少年Sは1968年12月15日に青酸カリで自殺する。事件前に銀行に送りつけられた脅迫状の筆跡が違うことや脅迫状に残されていた血液型と違うことから、警察はSを犯人ではないとする。
誤認逮捕[編集]
1969年12月12日に平塚八兵衛によるリークで毎日新聞がAを犯人視する報道を行う[2]。同日、運転手Aは別件逮捕される。Aは脅迫状に残されていた血液型と同じB型でモンタージュ写真に似ているということで捜査されていた。しかし、Aにはアリバイがあってすぐに釈放される。
しかし、多くの新聞が逮捕されてすぐにAの実名や経歴を報道。Aは一家離散の憂き目に遭い、事件の関係者としてマスコミに追いまわされることになる。そして、2008年に自殺する。報道による人権侵害が教訓に残されることとなった。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 別冊宝島 日本の「未解決事件」100 昭和・平成の謎を読み解く(宝島社) ISBN 978-4-7966-8083-7
- 戦後未解決事件史 -犯行の全貌と「真犯人X」(宝島社) ISBN 4-7966-5426-7
- 実録完全犯罪(別冊宝島編集部 編) - ISBN 978-4-7966-6455-4
- 戦後ジャーナリズム事件史(別冊宝島編集部 編) - ISBN 978-4-7966-6456-1