高座

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高座(こうざ)は寄席の舞台である。

概要[編集]

1807年(文化四年)に、講釈師の初代伊東燕晋徳川家康の偉業を読む尊厳を理由にして出願を寺社奉行が許可して、三尺×六尺という畳一枚分の固定したものを設置し、これを高座と呼ぶようになった。舞台式の高座が定着したのは江戸末期になる。寄席ではステージ自体を高座とするようになった。寄席では話芸が主体のため、背景に絵を書いたり、小道具を置くことはない。金屏風を背にした装置を置く場合もある。

もと仏教語で、釈尊が成道したという金剛宝座をかたどり、説教のときに一般席より高く設けた台とする。高座で使用する扇子(風)を「高座扇子」ともいい、高座で敷く座布団を「高座布団」という。次の出演者が高座にあがる前に前座が座布団をひっくり返し、前の出演者の羽織や湯飲みをかたづけ、メクリを次の演者にかえる仕事を「高座返し」という。

御前口演[編集]

1973年(昭和48年)3月に、皇后陛下古希の祝賀の余興として、六代目三遊亭圓生が御前口演をした。その時に高座が両陛下より低い高さであったが、圓生は恐る恐る宮内庁の役人に「落語の演技は動作を含め全体が芸になっておりますので、もしお許しを頂けるならば、陛下より一段高く高座を上げて頂けませんか」と注文を出したところ、早速陛下に伺いをたてたところ、「そういう事であれば一向に差し支えない」と仰せられたため、一段高く高座は作り直された。

客の目線以上の高さがないと、演技が行いにくいと言われる。

高座の作り方[編集]

講堂や体育館などで落語を行うときは、高座の高さは高座80㎝+ステージ高さ40㎝で合計120㎝とする[1][2]

参考[編集]

  1. 会場,および高座の作り方白鳥師匠
  2. 高座の高さについて三遊亭彩大,2019年08月30日