釜蓋城合戦

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釜蓋城合戦(かまぶたじょうかっせん)とは、
天正五年(1577年)十一月に、肥前國佐賀郡佐賀城城主・龍造寺氏が、肥前有馬氏の領地に進軍して、
天正五年(1577年)十二月に、肥前國高來郡釜蓋城城主・千々和氏が敗北して討死した合戦。

合戦経過[編集]

肥前有馬氏の分家の、千々和氏の領地の肥前國高來郡釜蓋城に進軍した。
  • 天正五年(1577年)十二月に、肥前國佐賀郡佐賀城城主・龍造寺隆信は、
肥前國高來郡釜蓋城城主・千々和氏の叛撃に遭い、劣勢の状態に成った。
龍造寺氏の陣中見舞に来て居た松永空圓が、長刀を持ち『松永弾正の弟』だと名乗って、
千々和氏の軍勢に突撃して討死した。
  • 龍造寺氏は、陣中見舞に来て居た松永空圓の活躍に拠り、
千々和氏を討ち取り、肥前國高來郡釜蓋城を落城させる事が出来たが、
新年を迎える為に、肥前國佐賀郡佐賀城に帰った。

参考文献[編集]

肥前叢書・第二輯(青潮社、1973年)
佐賀県近世史料・第一編第一巻(佐賀県立図書館出版、1993年)
五州二島の太守龍造寺隆信(川副義敦著、佐賀新聞社出版、2006年)

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