藤原頼成(ふじわらのよりなり)は、平安時代の人物である。具平親王の落胤とされる。
村上天皇の孫で、源師房の弟にあたる[1]。藤原良門の六男、良門の子孫にあたる藤原伊祐の養子となり、藤原姓となった[2]。一方、兄の師房の子孫は臣籍降下により源氏(村上源氏)となり、岩倉氏や北畠氏の祖先となった。
なお、藤原頼通の妻、祇子の父とする説があり、この説が正しいとすると後鳥羽天皇の女系祖先の一人ということになる[3]。