秦 舞陽(しん ぶよう、? - 紀元前227年[1])は、燕の刺客。
燕の将軍である秦開の孫に当たる[1]。13歳で殺人を犯して以来、逆らう者がいなかった[1]。秦王の政から屈辱を受けた燕の王太子である燕丹が政を暗殺するために荊軻を秦に赴かせた際、その従者として秦に入国した[1]。政への謁見の際、秦舞陽はその威厳に恐れをなして顔色が変わり震え[1]、荊軻の暗殺に協力できなかったという。荊軻が政暗殺に失敗すると殺された[1]。
- ↑ a b c d e f 青木五郎、中村嘉広 編『史記の事典』大修館書店、2002年、p.513
参考文献[編集]