田 建(でん けん、生没年不詳)は、中国の戦国時代の斉の最後(第7(8)代)の君主(在位:紀元前265年 - 紀元前221年)。王としては5代目。
父は先代の襄王[1]。后勝という奸臣を重用して歴代の忠臣を殺戮した。
紀元前221年、秦の始皇帝の攻撃を受けて戦わずして降り、斉は滅びた[1]。これにより秦の天下統一は完成し、田建は共(現在の河南省輝県)に身柄を移された[1]。
弟の田仮は始皇帝没後の争乱で斉王になり、孫の田安は秦滅亡後に項羽より斉北王に封じられたが[2]、田一族の内紛により非業の最期を遂げている。
- ↑ a b c 青木五郎、中村嘉広 編『史記の事典』大修館書店、2002年、p.516
- ↑ 青木五郎、中村嘉広 編『史記の事典』大修館書店、2002年、p.538
参考文献[編集]