熱原法難

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熱原法難(あつはらほうなん)は、鎌倉時代日蓮宗へ加えられた弾圧事件。1279年(弘安2年)駿河国富士郡熱原(現在の静岡県富士市厚原)で日蓮の門弟等に加えられた。

日蓮の弟子日興は駿河に教えを広め、熱原滝泉寺(現在の静岡県富士市厚原)の住僧日秀、日弁らを弟子とし、日秀らも熱原の農民を信者にしていった。在地有力者で念仏者でもあった滝泉寺院主代平行智はこれに反発し、日秀らを抑圧するいっぽう、北条氏得宗の政所代と連絡して農民を挑発して傷害事件を起こさせた。1279年に日秀らが刈田狼藉をしたと訴えたため、農民20名が鎌倉へ連行された。これにより3名が斬首、他は禁獄となったが、日秀らは避難し難を逃れた。日蓮は弾圧と捉え、門下に結束を呼びかけている。