熊本市ひき逃げ保険金殺人事件

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熊本市ひき逃げ保険金殺人事件(くまもとしひきにげほけんきんさつじんじけん)とは、2012年10月に発生した熊本県熊本市で発生した保険金殺人事件である。

概要[編集]

2012年10月20日午前3時頃、熊本県熊本市北区貢町の県道でにおいて、男性Sが倒れているのが発見され、病院に搬送されるも死亡。司法解剖によると死因は外傷性ショック。車2台にひかれた痕があった。現場近くには、軽乗用車、現場から離れた場所に放置されたトラックが発見され、Sがひかれた車と判明した。道路に横たわった状態で軽乗用車にひかれた後にトラックにひかれたとされた。軽乗用車は盗難車だった。事故当時に所有者が車を運転をしていなかったことが分かり、その他にも不審な点があったことから、殺人事件の可能性があるとして、捜査が開始された。

被害者Sには、2012年5月から8月にかけて11社もの保険金会社で計約3億円の保険金がかけられており、保険金殺人の疑いがあるとして捜査。Sの妻は結婚するかどうかを自分では判断できない程の重度の障害を負っており、書類上は2012年3月に結婚していたものの、Sは普段は福岡市で一人暮らしだった。そのため、保険金を手に入れるために結婚を偽装されていた可能性が浮上。

2012年12月12日、福岡県久留米市に本部を置いている指定暴力団道仁会系組幹部Aと無職Bを強要未遂容疑で逮捕。二人は、10月23日午後7~8時頃に熊本市の住宅で男性に数千万円の報酬を提示して、警察に自分たちの身代わりとして出頭するか、他に身代わりで出頭する人物を探すように要求した容疑がかけられたが、二人は当初は容疑を否認。しかし、容疑を認めて、他の知人にも同じ内容をお願いしていたと供述。熊本地検は、2013年1月3日にA、Bを強要未遂罪で起訴した。

保険金の掛け金は、ATMの防犯カメラをなどから、Aとその親族女性が銀行から振り込んでいたと判明。女性はSに頼まれただけで事情を知らなかったとされている。Sをひいたトラックは、A,Bが熊本県の建設会社から借りたものだったことも判明した。

2013年1月4日、A、Bを保険金目的の殺人容疑で再逮捕、被害者Sの義母Cを同じく保険金目的の殺人容疑で逮捕した。A、Bが殺害を実行、Cが殺害計画に関与したとされた。A、Bは保険金目的の殺人を認め、Cは容疑を否認した。Aは、義母Cと被害者Sと顔見知りの関係にあった。

2013年1月24日、暴力団A、Bは保険金目的の殺人容疑で起訴された。2月28日に義母cに対しては、殺人罪に関しては嫌疑不十分で不起訴処分となった。電磁的公正証書原本不実記録・同供用罪に関しては起訴されている。1月29日には、殺害計画を知っていたにもかかわらず、Sをひいた軽乗用車を盗むのを手助けしたとして、殺人ほう助と窃盗ほう助の罪でDを起訴し、Aを窃盗罪で追起訴した。

なおSは、2000年10月にも熊本市の路上で暴力団組員ら6人と共謀と共謀して保険金詐欺をしていたことがある。当時は、共犯者4人が乗った車と別の共犯者が運転しているレンタカーを正面から衝突させ、生命保険会社5社から入院給付金計140万円をだまし取った。この事件では、2003年9月、熊本地裁でSが主犯として終始主導的な役割をしていたとして、懲役3年10月の有罪判決を言い渡され、服役している。

裁判経過[編集]

Aの裁判[編集]

Aは、裁判で殺人罪については認めたものの、身代わり出頭を求めた強要未遂罪については否認した。検察側の暴力団幹部への資金提供が目的だったとの主張に対して、弁護側は、組は脱退していて暴力団の組長から金銭を要求されて追い詰められていたと主張した。

2013年8月30日、熊本地裁松尾嘉倫裁判長)は、求刑通り無期懲役の判決を言い渡した。判決では、「Aが軽乗用車とトラックを調達するなど周到に準備した上で入院給付金の保険金詐欺のためと思い込ませたSを路上に立たせた」と入念な計画性を認定。さらに、Sを確実に殺害するために2度にわたってひいた犯行は極めて冷酷とした。事件当時は、組を脱退していたという弁護側の主張も退けた。

他に、熊本市も無関係の男性にひき逃げの身代わり出頭を求めた強要未遂罪についても、「Aらに脅迫されたという被害者の説明内容は一貫し、信用できる」についても有罪認定。保険契約のために偽装結婚させた電磁的公正証書原本不実記録・同供用罪、軽乗用車を盗んだ窃盗罪についても有罪となった。

2013年09月11日、Aは判決を不服として控訴した[1]。無関係の男性にひき逃げの身代わりに出頭するよう強要した点について事実誤認があるとした。

2014年2月5日、福岡高裁(服部悟裁判長)は、一審判決を支持して控訴を棄却する判決を言い渡した。判決では、知人の証言は一貫して信用できるのに比べて、Aの供述は信用できないとした。

2014年6月9日、最高裁は弁護側の上告を棄却。無期懲役判決が確定した。

Bの裁判[編集]

2013年10月7日、熊本地裁(松尾嘉倫裁判長)はBに懲役19年(求刑懲役25年)の有罪判決を言い渡した [2]。弁護側は殺意について否認。殺人ではなく怪我を負わせて保険金を得る計画だと思っていたとして、Aが単独でひき殺したと証言。殺人の共謀を否認して傷害致死罪が成立すると主張していたが、これを不自然で信用できないと退けた。判決では、Aの証言は信用でき、保険金殺人を承諾して二人で殺害方法を決定してAの運転する軽乗用車に向かってSを押し出すなど殺害の実行を補助する重要な役割を果たしたと認定。一方で従属的な立場だったとして、求刑より刑を軽くした。

弁護側は判決を不服として、即日控訴した。

Dの裁判[編集]

2013年5月24日、Dに対して、熊本地裁松尾嘉倫裁判長)は、殺人幇助罪と窃盗幇助罪で求刑通りの懲役6年の有罪判決を言い渡した。判決では、殺害に使われることを、認識していたとにも関わらず、知人に譲った車のカギを渡したとした。弁護側は、求刑に対して執行猶予をつけるように主張していた。この判決を不服として、弁護側は、量刑不服として控訴した[3]

関連項目[編集]

脚注[編集]