水野成之

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水野成之(みずの なりゆき,1630年 - 1664年4月23日)江戸時代の旗本。「水野十郎左衛門」は通称。旗本奴の大小神祇組首領。 小普請組で3000石。

概要[編集]

1630年(寛永7年)、旗本・水野成貞の長男として生まれる。江戸で人気の町奴幡随院長兵衛を謀殺した事件で有名となる。幕府の「かぶき者」〉取締強」により評定所に呼び出されたが、髪も結わず白衣で出頭する。これが不敬とされ翌日切腹を命ぜられ、寛文4年3月27日(新暦:1664年4月23日)切腹。家は断絶となる。

歌舞伎[編集]

『極付幡随長兵衛』は河竹黙阿弥作の世話物で、舞台喧嘩の場などで白柄組の頭領水野十郎左衛門として登場する。