横川八重

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横川八重(よこがわ やえ、1903年-1965年)は、養老院経営者。

人物[編集]

京都府京丹後市久美浜町で小國家の三女として生まれる。京都府女子師範学校(現・京都教育大学)卒。教員として勤めたのち兄・小國健治の友人・横川修治と結婚し広島県五日市で暮らすが敗戦直後、夫が死去し京都に戻る。嵯峨の実家では兄・健治が健光園断食道場を運営していたが、健治も1948年病死。健治の妻・静子と八重が道場施設を養老院に転換し、義兄・亀山弘應(広島県の大覚寺派宝泉寺住職)を初代園長、自らは主事となって静子と園を運営した。二代園長として在任中の65年、62歳で急逝。三代目を甥の小國英夫が継いだ。

著書[編集]

  • 『京都嵯峨壽樂園日誌 終戦直後に創設された養老院のドキュメント』小國英夫監修, 健光園 編集、関西学院大学出版会、2019.5