林芙美子

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林芙美子(はやし ふみこ、1903年12月31日-1951年6月28日)は、小説家。

人物[編集]

山口県下関出身。身長143センチくらい。尾道市立高等女学校卒。様々な職業をへて、パリ滞在もし、『放浪記』で世に知られる作家となる。戦争中は「漢口一番乗り」などで戦争協力をしたこともある。敗戦直前には東南アジアにいた。画家の手塚緑敏と結婚。敗戦後も『浮雲』など多くの小説を書いた。実子はいなかったが、泰という男児をどこかからもらってきて養子として育てていた。芙美子没後、泰は汽車の事故で夭折する。桐野夏生は『ナニカアル』で泰が芙美子の実子だという仮説を立てている。

多忙を極める中、脳出血で47歳で死んだ。「花のいのちは短くて苦しきことのみ多かりき」と書いた通り早く死んだ。林をかわいがっていた川端康成はその葬儀で、林にひどい目に遭わされた人もいるだろうが許してやってください、と述べた。大佛次郎は、自作の『帰郷』に出てくる高野左衛子という美女について、林が自分がモデルではないかと言っていると聞いて、「あの人、自分をそんなに美人だと思っているのか」と言った。三島由紀夫は葬儀に出席する際、「なんであんなバカな女の葬儀に出なきゃいけないんだ」と言った。かくのごとく多くの作家に嫌われる人生だったが、没後も人気は途絶えずますます愛読者は増えている。

『放浪記』は菊田一夫が劇化し、日比谷芸術座森光子が高齢になるまで主演し続けたことで知られる。 北九州市は林芙美子文学館を設立し、林芙美子文学賞を制定している。